土門拳(どもんけん)は、言わずと知れた「写真の神様」です。写真作家という言葉が、土門拳ほど似合う写真家はいませんね。

 

土門拳は数々の名言を遺した人でもあります。

 

さて、今回ご紹介する土門拳の名言は、彼のどの著作にも書かれていません。と申しますのは、実際に土門拳に逢って、写真についてアドバイスを受けたという人から聞いた話だからです。

 

土門拳の意外な、そして怖ろしいくらいに深い忠告の言葉を風花に教えてくれたのは、英語の恩師です。私が18歳で東京に出た年に、小野先生に指導していただいたのですが、その熱血指導にどれほど勇気づけられたことか。

 

滅多に余談はしない先生でしたが、その時は、珍しく、土門拳の話になったのです。

どうして、土門拳の話題になったのかは忘れてしまいましたが、たぶん、よほど土門拳に直接アドバイスをもらったことが嬉しかったのだと思います。

 

小野先生は土門拳に「どのようにしたら、すばらしい写真が撮れるようになりますか」という質問したというのです。

 

土門拳は、こう答えたそうです。

 

カメラのレンズキャップをはずしなさい

 

小野先生は「さすが土門拳さんは凄い。ふつうならば、もっと技術的なことを言うだろうけれど、それが何と『レンズキャップをはずしなさい』ときた。さすがは、写真の神様。言うことが違う」

 

その話を聞いた時、私は思わず「う~ん」と唸ってしまいました。私も「土門拳は凄い」と確かに感じたのでした。しかし「なぜ凄いのか、どこが、どのように凄いのか」は、18歳の私にはわからなかったのです。

 

最近になって、ようやく、少しずつ、土門拳の言葉の意味が呑み込めるようになり、同時に、その奥深さが心に沁みてきています。

 

本当に理解しているかのは定かではありませんが、おそらく、土門拳は、以下のようなことが言いたかったのではないか。

 

写真撮影にかぎらず、人は何かを始めようとする時に、実は「レンズをはずさずに、やっていること」が多いのではないか。

 

だから、どんなに技巧に走り、頑張ったところで、フィルムには、肝心なものは映っていないのだ。何よりも大切なのは、まず「レンズキャップをはずすこと」。

 

「何とかして傑作写真を撮ってやろうと」というような強欲は、心を曇らせ、人間の真実を写しとることはできない。邪心や傲慢を捨てた時、初めて被写体は、その真実の姿を目の前にさらしてくれる。

 

だから、被写体にカメラを向ける前には、心を虚しくして、レンズキャップをはずさなくてはならないのだ。

ういうことを土門拳という写真家は言いたかったのではないでしょうか。だとすると、名言の真意が見えてきます。

 

レンズキャップをはずしなさい」とは「心の眼を開きなさい」という意味なのです。真実を写すのは肉眼ではなく、心眼なのだと土門拳は言いたかったのでしょう。

 

デジカメ全盛の時代となり、レンズキャップを手ではずすという機種は少なくなっていますが、土門拳の言葉は、決して死語にはならないでしょう。

 

深い含蓄と、鋭い示唆に富んだ名言ですので、密かに語り継いでゆきたいと思うのです。