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映画「ハチ公物語」にある「深く温かいもの」こそを語り継ぎたい。

今回アマゾンビデオで鑑賞した映画「ハチ公物語」は、素直に感動できる映画作品です。

理屈抜きに楽しめる映画ではありますが、単なる娯楽作品ではありません。そこから、時代を超えた「深いもの」が感じとれました。

有名な「忠犬ハチ公」を主人公にした映画「ハチ公物語」は、1987年に公開された日本映画。監督は神山征二郎。脚本は新藤兼人。出演者は仲代達矢八千草薫など。

「忠犬ハチ公」について、私は知っているようで、よくは知りませんでした。

ネットで調べて、思わず、う~んと唸ってしまったのです。

「忠犬ハチ公」と呼ばれる犬の名前はハチ。「ハチ公」の愛称で親しまれていました。犬種は秋田犬。

驚くべきは、飼い主が死んでから約10年もの間、送り迎えしていた渋谷駅の改札前で、飼い主の帰りを待ち続けたということ。

渋谷駅には「ハチ公口」があり、その改札を出たところに「忠犬ハチ公」の銅像が建てられており、渋谷のシンボルになっています。ハチ公前は古くから、待ち合わせ場所として多くの人に親しまれてきました。

忠犬ハチ公のエピソードに関しては、いろんな説があるようですが、いろいろ詮索しても意味はないでしょう。

ハチ公は、1923年(大正12年)から1935年(昭和10年)まで生きた賢い犬であったこと。そして何より、最初の飼い主である上野英三郎さんにこよなく愛され、深い絆で結ばれていたこと。

上野さんに飼われていたのは、1年あまりに過ぎなかったのですが、生涯、上野さんを慕い続けていた、そのことには驚愕せざるを得ません。

上野さんの死後は、ハチは不遇でした。ボロボロになりながらも、自身の「信」と「愛」を貫いたハチの姿は、傷だらけの天使を想わせます。

映画「ハチ公物語」のテーマは、紛れもなく「愛」です。その「愛」はあまりに純粋で深く、そして不変である。そのため、情報過多社会という何もかもが移ろいやすい環境に生きる、私たちにこそ強烈に訴えかけるものがあります。

ハチは私だ」と感じた人は多いでしょう。

この上ない無垢な愛を知り、それを失い、一生、消えた純朴な愛を探し求めて、さすらい続ける。それは人間の魂の世界には、よくあることです。

余りにも純粋な愛を知ってしまった者は幸だが、それをひとたび失えば、その人は「灰」となる。

飼い主の上野さんが死んだ時、ハチ公は3日間何も食べなかったそうです。

ほとほどの愛しか知らぬ者は、バランスよくほどほどの一生をやり過ごすことができるでしょう。

でもハチは違います。ハチ公は、至高の愛を受容したために、それを忘れることを拒んだ。純粋な愛の日々を追想し続け、風雪に耐える生涯を送ることを自ら選んだのです。

というふうに考えるのは、映画を見る者の自分勝手な思い込みというより、ごく自然な反応なのではないでしょうか。

ハチ公の死は悲惨であり、と同時に栄光でもあります。愛を求めて彷徨する現代人にとって、ハチ公の存在は、光であるに違いありません。

不思議なことが起きました。

映画を見た翌日、ヒーリングサロンに行き、ヒーラーに「ハチ公物語」の話をしました。すると、そのヒーラーは子供のの頃、自宅で秋田犬を飼っていて、今でもその愛犬の夢を見ると言うのです。

映画の中のハチ公が、秋田犬を飼ったことがある人に私を結び付けようとしたのかもしれません。

ハチ公に、テレパシーのようなものを感じます。

現代社会に生きていると、忘れてしまい、退化してしまうであろう感覚を、ハチ公を見ていると、呼び覚まされるのです。

自分自身の遺伝子の奥の奥から、ハチ公が呼んでいる気がします。私が生まれる以前の遠い記憶がよみがえってくるのです……。

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