ボールは丸い【ゼップ・ヘルベルガーの名言】

今回、取り上げる名言は、これです。

ボールは丸い。

ボールは丸い」は、サッカーが好きな人ならば、必ず聞いたことがある言葉ですよね。 

もちろん、私も知っていましたが、実は、サッカーの神様と呼ばれたペレの言葉だと思っていました。ジーコも言っていた気もします。 

この言葉の生みの親は、ドイツサッカー生みの親と呼ばれるゼップ・ヘルベルガーさんだそうです。 

「ボールは丸い」という言葉は短いので、いろいろと解釈できます。含蓄があって良いなぁと思うのですが、実際は、もう少し長いのです。 

ボールは丸く、試合は90分。総ては単純な論理である。

ここまで言われてしまうと、ちょっと意味が限定されてしまいますよね。 

それでも、やはり、名言だと思います。というか、やはり、上のロングバージョンの方が良いですね。 

丸いボールは、予期せぬドラマを予感させますが、その対照として「論理」という言葉が効いています。 

限られた制約の中で、全力を尽くしましょう、最後まで可能性を信じて……というくらいの意味でしょう。 

さらに驚いたことには、ゼップ・ヘルベルガーさんは、以下の素晴らしい名言をも遺しています。

試合終了の笛は、次の試合開始の笛である。 

デッドマール・クラマーさんの言葉だと思っていたんですが、ゼップ・ヘルベルガーさんだったのですね。

それにしても、本当に言葉のセンスが良いですね。核心をついていて、意味に広がりがあり、そして美しい。

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2011年10月8日 | コメント/トラックバック(2) |

カテゴリー:偉人の言葉

なでしこジャパンが五輪予選で大苦戦した原因

なでしこジャパンロンドン五輪への出場が決定しましたね。もちろん、テレビ放送は全試合フルタイム見ていますが、FIFA女子ワールドカップドイツ2011(ドイツW杯)で活躍した同じチームとは思えないほど、苦戦の連続でした。

思うに、あのドイツW杯での感動をもう一度期待するほうが、無理なのかもしれません。なぜなら、なでしこジャパンのW杯優勝は、長い日本スポーツ史をひも解いても、おそらくは東京オリンピックで「東洋の魔女」と恐れられた日本女子バレーボールチームが優勝したのと同じくらいの大事件なのだから。

そうした大きな感動を、何度も期待されては、なでしこジャパンのメンバーが気の毒と言うべきかもしれません。

と言いつつも、まだまだ応援してゆきたいので……ロンドン五輪予選はあと1試合残っていますが、これまでのなでしこジャパンの戦いを振り返ってみたいと思います。

もともと快勝の連続など、期待はしていません。しかし、試合内容が悪すぎますね。

苦戦の原因は、以下のことが考えられます。

1)W杯後にマスコミからの取材攻勢などがあり、多忙を極めていて疲れがとれなかった。

2)疲労のためにコンディションが悪く、試合での運動量が減り、体のキレも悪くなった。

3)ドイツW杯での優勝で達成感があり、五輪へ向けてのモチベーションが今一つ高まらなかった。

4)他チームがなでしこジャパンを徹底的に研究してきて、良さを消されてしまった。

5)グラウンドコンディションが悪く、得意とするパスサッカーが展開できなかった。

その他には、メンタル面での変化も大きかったと思います。これまでは、世間から大した注目もされず、ある意味、気楽に思い切って戦えたのですが、W杯優勝で環境が激変。無欲の勝利から、今度は勝利への責任を負わされた、そのプレッシャーも大きかったのではないでしょうか。

正直、試合そのものは、夢中になって見られるほどの魅力はありませんでした。

得られたのは、五輪の出場権と、「よい準備をしなければ痛い目にあうという教訓」だけ。

ドイツでの輝きは、完全に消えていました。

雑草集団ならではの「ハングリーさ」も「ひたむきさ」も影をひそめ、受け身にまわった試合展開は、王者の風格も感じられません。

また、なでしこジャパンが世界の度肝をぬいた、あの華麗なパスサッカーも見られず、ストレスがたまるばかりです。

もちろん、ロンドン五輪までには時間もあり、本番のピッチコンディションは良いので、なでしこジャパンは活躍してくれるでしょう。

しかし、このままだと、良くてベスト8くらいなのではと、期待を下方修正せざるをえません。

選手の平均年齢も高くて、若手の有望選手が育っているのかも不安です。

五輪で優勝してほしいという気持ちはもちろんありますが、それよりも「なでしこジャッパンらしいサッカー」を徹底的に展開してもらいたい。

私たちが、なでしこに感動したのは、雑草のような「たくましさ」と「潔さ」でした。日本人が忘れていた「ひさむきさ」と「さわやかさ」が、なでしこにはありました。

王者になった以上は、もう一度ハングリーには戻れないかもしれません。ならば、バルセロナ風パスサッカー、いや、日本人にしかできないサッカーの完成を目指すべきだと思います。

バルセロナのポゼッションサッカーの基本にあるのは、高い個人技はもちろんですが、選手たちの個々の運動量をベースにした激しいプレスがあります。

ボールをとられたら、すぐに奪い返し、ボールを持ったら、なかなかとられないポゼッションサッカーは、選手の動きの質と量が求められるのです。

なでしこジャパンが華麗さを取り戻すには、良いグランドで試合することではなく、相手に決して走り負けないこと、つまり運度量を増やせる体力の強化が求められているのです。

周囲の関係者たちは、金銭的な援助だけでなく、人材育成を含めた長期的プランを今すぐ作成すべきです。そうしないと、なでしこジャパンブームはまたたく間に去り、ファン離れの危機が訪れるのは、そう遠いことではないでしょう。

栄光の後には長い低迷期が続くという、日本のスポーツ界の悪しき伝統は断ち切ってほしいのです。

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デットマール・クラマーさんの言葉

 「本当の優しさって、何だろう」と、1年のうち、何度か自問自答します。

そうした時に、必ず想い浮かぶ人物がいます。

それは、デッドマール・クラマーさんです。

彼は東京オリンピックに出場する、日本のサッカー代表を強くするために、ドイツから招かれたコーチです。

彼のおかげで、サッカー日本代表は、急激に強くなり、東京五輪でベスト8入りをはたし、次のオリンピック、メキシコ大会では見事、銅メダルに輝きます。

クラマーさんは、名言をたくさん残した人でもあります。

おのれの役割をまっとうした人間ほど美しいものはない」 

この言葉は、メキシコで3位決定戦を終えた日本チームを見て、発した言葉だったと思います。

サッカーに密着して解説するなら、「選手1人ひとりが各ポジションという役割を全力で果たした姿は美しい」ということになります。 

しかし、現在では、しばしば、自分の好きなことに打ち込んでいる人たちを、賞賛する時の言葉として使われているんですね。

かなり前のことですが、正月の高校サッカーの放送中に、このクラマーさんの言葉は紹介されたのですが、なんて素晴らしい言葉なんだろうと感じ入りました。 

現実はどうでしょう。

ほとんどの人が、自分の役割さえ見つけられないで悩んでいます。 

役割とは「運命」という言葉に置き換えても良いでしょう。

自分の天職を見つけられた人は幸運としかいいようがありません。

急に自分の宿命のような職が見つかることは稀です。

だから、まずは、何か、今、熱中できるものを見つけ、没頭することから私も始めようと思っています。 

東京でサッカーライターの修行をしている時、1人のサッカーマニアの方が、古い雑誌からコピーをわざわざとってくれて、クラマーさんの名言集をつくってくれ、それを贈ってくれました。 
そのファイルは、今でも、私の宝物です。 

クラマーさんというコーチは怖ろしく厳しい人でした。 
あの世界的なストライカーである釜本選手も震え上がったほどの鬼コーチです。 

しかし、こんなエピソードがあります。

深夜、選手たちが寝静まった頃、クラマーさんは部屋に入ってきて、選手1人ひとりの毛布をかけなおして行ったそうです。 

そんなことまでしてくれるコーチって、いるでしょうか。

もう、おわかりですよね。 

クラマーさんの厳しさは、深い愛情に裏打ちされたもの、つまり、本当の優しさだったのです。

最後に、クラマーさんが、自分の部屋に貼っていたという言葉をご紹介しましょう。松本育夫氏は、ゲーテかシラーの詩の写しではないかと語っておられます。

ものを見るのは目ではなく
心で見ろ
ものを聴くのは耳ではなく
心で聴け
目それ自体は物を見るだけであり
耳それ自体は物音を聞くだけである

この言葉も好きで、時々思い出しては、自分を戒めています。

デットマール・クラマーさんについては、この本に詳しく書かれています。

デットマール・クラマー 日本サッカー改革論

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2011年7月26日 | コメント/トラックバック(0) |

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