山田洋次監督の映画「東京家族」をdTVで鑑賞しました。「東京家族」は2013年に公開された日本映画。

 

この映画が小津安二郎監督の映画「東京物語」のリメイクだということは、見ればすぐにわかります。

 

この二つの映画を比較した時、どちらが上か下かで評価しようとすることは、私にとっては意味がありません。

 

小津安二郎の「東京物語」は完成された芸術です。で、その芸術をリメイクして、どれくらい面白い映画を山田洋次が作ったのかを、楽しみたいだけでした。

 

予想以上に、山田洋次は、原作をなぞるように作っていました。人物配置とストーリーは、ほとんど同じだと言っていいくらいです。

 

しかし、山田洋次監督は原作の物語展開、場面設定、セリフ回しなどを、忠実に継承しているにもかかわらず、小津映画とはまったく異なる映像空間が出来上がっていたのでした。

 

結果として、家族の哀歓と人の温もりを、山田洋次節で歌い切ったという感じ。

 

小津安二郎の「東京物語」のテーマも家族の悲哀ですが、そのテーマを超えた神の領域が小津フィルムにはあるのです。

 

長年連れ添った女房が息を引き取った朝、ずっと朝焼けの空を見つめていた笠智衆、そこに歩み寄る原節子。「今日も一日、暑くなるぞ」と言う笠智衆。

 

日本映画史上に残る名シーン。このシーンには、神々しいまでの清らかな魂が映像化されていて、絶句するしかありません。

 

小津安二郎の「東京物語」の感想はこちらの記事に

 

そうした聖なる領域が、山田洋次フィルムにはありません。そのかわり、庶民の生活感覚を生活者の視線から、物の見事に表現しています。

 

庶民の感情を描かせたら、山田洋次の右に出るものはないでしょう。そこには、他の映画監督にありがちな概念的表現がなく、あくまで生活感覚であらわしているのです。

 

小津安二郎の描く世界は現実にはありません。聖なる幻想と呼びたくなる神映像です。現実というには、あまりにも美しすぎるのです。そこに流れるものは、バッハをほうふつとさせる気高い精神性と美意識でした。

 

山田洋次の描く世界は限りなく現実に近い。生活者が映像の中に自然に息づいていると感じるくらい、生活者の皮膚感覚が生かされています。

 

もちろん芸術としては小津安二郎の「東京物語」が優れています。でも、山田洋次の「東京家族」には人肌の温もりがあり、その点において佳作であると思いました。