久しぶりに「美しい日本語」シリーズ、行ってみましょう。

 

今日の言葉は「和らぎやわらぎ」です。

 

「らぎ」で終わる日本語は意外に少ない。

 

「~らぎ」とつく言葉は、他には「安らぎ」「せせらぎ」「ゆらぎ」などがありますが、数は多くありません。

 

日常で最も多く使うのは「安らぎ」でしょうね。

 

「最近、安らぐ時が少なくて、気持ちがギスギスしがちです」というふうに使います。

 

では「和らぎ」または「和らぐ」は、どうでしょうか?

 

「安らぎ」と比べると、使う機会は極端に少ないと思いますね。

 

その理由は、私たち現代人の平均的な日常生活では「和らぎ」の時間は減っているし、また「和らぐ」時をあえて増やそうとしている人は少ないからでしょう。

 

「和らぎ」と「安らぎ」の比較

 

「安らぎ」は個人的な言葉であり、心が平安であったり、静かで落ち着いている状態を指します。

 

一方、「和らぎ」は、個人的にも使えますが、他者との関係性を示したり、社会性が強いのではないでしょうか。

 

「安らぎ」はパーソナル(個人的)な言葉。「和らぎ」はソーシャル(社会的)な言葉。

 

広がりと志向性が強いのが「和らぎ」という言葉の特徴

 

「安らぎ」と「和らぎ」に共通するのは、人生観的な意味合いが含まれる言葉であることです。

 

現代ではなかなか心底から安らぎが得られないから、信仰心を持ったり、哲学を学んだり、芸術活動をする人がいるのではないでしょうか。

 

もちろん、全体からすれば、そうした「安らぎを求める人」は多くはありません。

 

それは、ほとんどの人が、便利さや効率性を追い求める傾向が強く、心が渇いたとしても、便利さを手放してまで、心の安寧を追求したりしないから。

 

では、今回スポットを当てている「和らぎ」は、どうか?

 

「安らぎ」よりも、もっと広がりがあり、志向性の色合いが濃いのが「和らぎ」だと私は感じています。

 

私が「和らぎ」という言葉に惹かれるのは、「人は独りでは生きられない」という思いが強いからでしょう。

 

「安らぎ」を得ようと思ったら、人と良好な関係を保つ(仲良くする)ことが不可欠です。

 

孤独には、真の「安らぎ」はありません。

 

人と関わり、社会に参加しなければ、自分自身は決して癒されないし、心の安寧は得られないのです。

 

真の「安らぎ」を得るためには、「和らぐ」ための人間関係を築き、「和らぐ」ために生き方を貫いてゆかねばなりません。

 

というか、「和らぎ」のある暮らしが日常になれば、自ずと「安らぎ」は空気のように呼吸できるのだと思います。

 

暮らしのメインキーワードを「和らぎ」に決めた理由

 

私は「和らぎ」という美しい言葉を抱いて、これかの人生を生きてゆきたい、と真剣に考えているのです。

 

なぜなら、独りでは生きたくないから。人と共感し合って暮らし、幸せを感じたいから。

 

人は自分のためだけに生きられるほと強くはない」という言葉があります。そう言ったのは三島由紀夫だったと思います。

 

言い換えると、自分だけのために生きるより、他人と歓びを分かち合う生き方の方が素晴らしいし、幸福であるということになるのですね。

 

和して同ぜず」という言葉が孔子の「論語」にあります。

 

この言葉は、自分の信念を曲げてまで他人に合わせるのではなく、他人と協調しつつ、自分の生き方を貫く生き方を示しているのですね。

 

しかし、実状としては多くの人々は「同じて和せず」の状態ではないですか。

 

他人と協調しようという意志は薄くて、自分だけのことを考えてて我がままに生きている人。あるいは、人と同じであることに安心して時流に流されている人が少なくないと思うのですが、いかがでしょうか。

 

「和」、即ち「和らぎ」という言葉は、自分らしさを失うことなく、人とともに幸せを、音楽のハーモニーのように分かち合う(調和・交響できる人生をあらわしていると、私は思っています。

 

私はこれからは、「和して同ぜず」というふうな古い言葉ではなく、「和らぎのエナジー」「光道から光輪へ」「円環の法則」などの造語を使lってゆくと決めました。

 

それについては、機会を改めて語ることのしましょう。