ヒッチコックの映画「パラダイン夫人の恋」が、傑作にならなかった理由

久しぶりにヒッチコック映画を見た。「パラダイン夫人の恋」である。

 

途中まで、これは傑作かもしれないと期待が膨らんだが、最後まで見ると、期待ほどではなかったというのが正直な感想である。

 

ただ、何回も傑作になりそうな気配は感じられた。その意味は、二人の女性の描き方。

 

パラダイン夫人を演じたアリダ・ヴァリ、弁護士役のグレゴリー・ペックの妻を演じたアン・トッドに関しては、前半はヒッチコックらしさが垣間見られた。

 

しかし、後の「めまい」「ダイヤルMを回せ」「マーニー」などのような確かな結実、後半の異様なまでの盛り上がりは、この「パラダイン夫人の恋」には、なかったのである。

 

アリダ・ヴァリといえば「第三の男」「かくも長き不在」などの主演した名女優である。

 

これほどまでの女優の潜在能力を、ヒッチコックほどの名匠が引き出せなかったのは、信じがたい。

 

ひょっとすると、アリダ・ヴァリの独特の強烈な存在感が、ヒッチコック好みではなかったのかもしれない。

 

もう一人の女優であるアン・トッドは、いかにもヒッチコックが好みそうな美女。前半は特に良かったが、後半に失速してしまった。

 

これも、ヒッチコックの演出が不充分だったからだ。名匠にしては、実に珍しい。

 

このように書いてしまうと、どうしようもない駄作のようだが、見ようによってはかなり楽しめると思う。

 

素材に恵まれながら、突き抜けられず、不完全燃焼に終わった、ヒッチコックらしからぬ凡作が「パラダイン夫人の恋」である。

 

ヒッチコックらしからぬ点がもう一つある。

 

それはラストシーンだ。珍しく、妻の言葉によって「人生肯定」で重苦しい法廷ドラマは終わる。

 

「人生肯定」が似合わないのがヒッチコックなので、この点も奇妙な印象を受けた。

岸田衿子の詩「くるあさごとに」

そ岸田衿子(きしだえりこ)の「くるあさごとに」という詩をご紹介。

 

くるあさごとに

 

くるあさごとに

くるくるしごと

くるまはぐるま

くるわばくるえ

 

全行、頭韻を踏み、七音で統一されている、実に語呂の良い詩である。

 

この軽やかなリズムがなかったら、どうなるだろうか?

 

詩の内容は一言であらわすならば「人生の苦悩」である。

 

「くるくるしごと」は「来る来る仕事」というより「来る苦しごと」を表しているであろうから。

 

内容だけなら「苦しみの歌」であったはずが、軽妙なリズムを勝ち得た時、テーマを「人生の歓喜」とする詩として変貌を遂げた。

 

この「くるあさごとに」を「苦しみの歌」から「歓びの歌」へ、「苦悩の詩」から「歓喜の詩」に変身させた、独自の音楽性(音韻構成によるリズム感の創出)は、いくら評価してもし過ぎることはない。

 

「たくましい、人生肯定の詩」だと、私は「くるあさごとに」を受け止めている。

 

特に「くるわばくるえ」が良い。

 

私自身、現在、病気療養中のため、世間一般から見たら、忙しくはない生活をしている。

 

しかし、毎日、あわただしく、毎日が、あっという間に過ぎ去ってゆく。

 

「生きている実感」をつかもうとしているのだが、いとも簡単に指の間から、生の手ごたえはすりぬけてゆく。

 

では、毎日が気軽で楽しいかというと、苦しみの方が大きいと感じてしまうのだ。

 

作者である岸田衿子は「人生の苦悩」から逃げようとしていない。

 

そもそも「苦しみのない人生」など、存在しない。

 

苦悩を受け止めてこそ、歓喜への道が開ける、と岸田衿子は良い意味で開き直っているかに見える。

 

「悟り」というのでは観念的すぎる。

 

そうではなく、軽やかに体を揺さぶり、ステップを踏むように、苦しむことを楽しもう。

 

時には狂うことさえあるだろうけれど、狂気があるから人生の手ごたえは確かなものになるのではないか。

 

というわけで、たった4行の詩だが、この「くるあさごとに」は、現代詩における、極めて稀有な成功事例だと強調したいのである。

 

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ラングストン・ヒューズの詩「助言」。訳詩:木島始

ラングストン・ヒューズの「助言」という詩をご紹介しよう。

 

訳詩は木島始

 

助言

 

みんな、云っとくがな、

生まれるってな、つらいし

死ぬってな、みすぼらしいよ──

んだから、掴(つか)まえろよ

ちっとばかし 愛するってのを

その間にな

 

Advice

 

Folk, I'm telling you,

birthing is hard

and dying is mean──

so get yourself

a little loving

in between.

 

※meanはこの場合は形容詞。「卑劣な、けちな」の意。

「mean」が形容詞として使われる場合、人の性格が卑劣であることや、金銭に対して非常にけちであることを示す。

 

ラングストン・ヒューズのプロフィール

 

ラングストン・ヒューズ(Langston Hughes)は、1902年2月1日に生まれ、1967年5月22日に死去。詩・小説・戯曲・短編・コラムなどの分野で活動したアメリカの作家。ハーレム・ルネサンスの指導者とも呼ばれている。

 

ミズーリ州にて、アフリカ、ユダヤ系、ネイティブ・アメリカンなどが混血した一家に生まれた。幼少期に両親が離婚し、父は人種差別の激しかったアメリカ合衆国を出てキューバ、後にメキシコへ渡る。その後、カンザス州の祖母から黒人の伝統口承文学を多く聴かされ育てられる。

 

それまでアメリカ白人作家によって描かれてきたアフリカ系アメリカ人の類型的タイプ(ひたすら従順・野蛮で知性に欠ける…)ではなく、黒人自身の視点からブラックアメリカ文化・風俗を提示することにより普遍的人間像を描いた。

 

ラングストン・ヒューズの詩「助言」の鑑賞

 

木島始の訳詩がいいですね。このくだけた感じが、なんとも言えない味と親しみを生んでいます。

 

それと、人生には「愛が大事だ」という主張を大げさに大風呂敷を広げるのではなく、小さく身近なこととして優しく語りかけている点に注目。

 

壮大な人類愛ではなく、日常的に「a little loving」というふうに小さく語ったことが素晴らしい。

 

小難しい理屈をこねくりまわしていないことが、詩としての成功を呼び込んでいます。

 

「Folk」は「皆さん」という呼びかけの言葉ですからね。

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