ペギー葉山が歌った名曲「学生時代」の歌詞を、改めて一字一句味わうと、涙も出ないほどの美しさに絶句してしまった。
残酷すぎる。この歌詞にあるような青春を現実に味わった人は多くはないだろう。しかし、ヒリヒリと沁みるほどにその美しさに浸れるのだ。
そして、今後二度と、このような詩を書ける日本人は現れないだろうと思うと、深いため息をつかざるをえない。
「学生時代」がリアルタイムで歌われた時と、今の日本は、そして日本人は変わり果ててしまった。
1 つたの絡まるチャペルで 祈りを捧げた日
夢多かりしあの頃の 想い出をたどれば
懐かしい友の顔が 一人一人うかぶ
重いカバンを抱えて 通ったあの道
秋の日の図書館の ノートとインクの匂い
枯葉の散る窓辺 学生時代
2 讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
何のよそおいもせずに 口数も少なく
胸の中に秘めていた 恋への憧れは
いつもはかなく破れて 一人書いた日記
本棚に目をやれば あの頃読んだ小説
過ぎし日よわたしの 学生時代
3 ロウソクの灯(ひ)に輝く 十字架をみつめて
白い指を組みながら うつむいていた友
その美しい横顔 姉のように慕い
いつまでもかわらずにと 願った幸せ
テニスコート キャンプファイヤー
懐かしい日々は帰らず
すばらしいあの頃 学生時代
すばらしいあの頃 学生時代
「学生時代」の歌詞を書いたのは、平岡精二で、作曲も担当している。
青春とは、何と残酷なのだろう。この「学生時代」の歌詞を読むと、現実とはあまりにもかけ離れた青春像が、まったく無防備に信じれてしまうから不思議だ。
不安と焦燥。挫折と悔恨。青春は実は惨たらしいくらいに醜い。
そうした青春という季節の無慈悲さを知り抜いているからこそ、その辛さから逃避するために、私たちは、現実とは真逆の美麗なる楽園を胸中に描き出してしまうのかもしれない。
讃美歌を歌いながら 清い死を夢見た
何のよそおいもせずに 口数も少なく
青春の特徴の一つに寡黙がある。ほとんど口をきかない若者が昔は珍しくなかった。
しかし、もうそんな不器用な若者も消え去ってしまった。
それにしても、この「学生時代」ほど、今さら求めようもない「失われてしまった時の大きさ」を感じる歌はない。
さらば、青春!