西條八十が作詞した「花咲く乙女たち」をご紹介。
舟木一夫が歌唱し、同名の映画の主題歌にもなった。
青春映画の主題歌ということは、要するに歌謡曲の歌詞なのだが、実はよく読んで鑑賞すると、詩としても優れていることの気づくのである。
では、「花咲く乙女たち」の歌詞の全文を引用してみよう。
花咲く乙女たち
作詞:西條八十 作曲・編曲:遠藤実
歌唱:舟木一夫
一 カトレアのように 派手なひと
鈴蘭のように 愛らしく
また忘れな草の 花に似て
気弱でさみしい 眼をした子
みんなみんな どこへゆく
街に花咲く乙女たちよ
みんなみんな どこへゆく
街に花咲く乙女たちよ
二 あの道の角で すれちがい
高原の旅で 歌うたい
また月夜の 銀の波の上
ならんでボートを 漕いだひと
みんなみんな 今はない
街に花咲く乙女たちよ
みんなみんな 今はない
街に花咲く乙女たちよ
三 黒髪を長く なびかせて
春風のように 笑う君
ああだれもが いつか恋をして
はなれて嫁いで ゆくひとか
みんなみんな 咲いて散る
街に花咲く乙女たちよ
みんなみんな 咲いて散る
街に花咲く乙女たちよ
鑑賞に入る前に、そもそも論になるが、2021年の現在、「青春」という言葉は一般的に使われているのだろうか?
正直、全く「青春」という言葉を、最近、耳にしたことがないのである。
今回ご紹介している、この「花咲く乙女たち」は、青春の歌に他ならない。
しかし、青春の真っただ中にいる者が歌った詩ではないことには注意すべきだ。
はるか以前に青春を終えた大人が、「青春」を俯瞰しているというか、遠くから眺めているような詩である。
青春はもう帰らない、そうした思いがあるせいか、この「花咲く乙女たち」には、どこか寂しく、哀しい。
もう一つ意識しなければならないのは、現代において「青春」は死語に近いが、「青春」を懐かしみ、美化し、若い女性の輝きを、さまざまな花に喩えて詩にする大人など、おそらくは皆無だろうということだ。
だから、この「花咲く乙女たち」を読むと、あるいは聞くと、二重に寂しく哀しい。
つまり、もう「青春」は遠く消え去り、「青春」を花のように美しいものだと懐かしむ人さえいなくなってしまった、この二重の空しさだ。
だが、残酷なことに、西條八十が歌おうとしたテーマは、心に沁みわたるほど完璧に理解できてしまう……。
現代において「青春」という言葉を復活させ、若い女性が「花」のように咲き乱れる様を見ることはできないものだろうか。
今の若い女性たちは「花」に喩えるには、あまりにも情報に汚染され過ぎているのか。
いや、若い乙女たちを見る、現代人の眼が濁り過ぎているのかもしれない。
ともあれ、西條八十は古き良き時代の永遠の乙女像を描き出しくれている、それだけは確かである。