今回は「影を慕いて」という歌謡曲の歌詞をご紹介します。

 

古賀政男が作詞・作曲。1932年(昭和7年)3月発売の藤山一郎版が最も有名です。

 

さっそく、その歌詞を引用してみましょう。

 

影を慕いて

 

1 まぼろしの 影を慕いて雨に日に
月にやるせぬ 我が思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦れつつ 忍び泣く

 

2 わびしさよ せめて傷心(いたみ)のなぐさめに
ギターを取りて 爪弾(つまび)けば
どこまで時雨(しぐれ) ゆく秋ぞ
振音(トレモロ)寂し 身は悲し

 

3 君故に 永き人生(ひとよ)を霜枯れて
永遠(とわ)に春見ぬ 我が運命(さだめ)
ながろうべきか 空蝉(うつせみ)の
儚(はかな)き影よ 我が恋よ

 

歌謡曲は、基本、商業的に売り出される、いわゆる商品です。それを、この私のブログ「美しい言葉」で紹介する時、少なからず躊躇します。

 

しかし、古賀政男の「影を慕いて」は、迷うことなく、日本の名作詩の中に加えられました。

 

「影を慕いて」には以下のエピソードが残されています。

 

昭和初期の深刻な不況のなか、将来への不安や苦学の疲れなど困難な状況にあった明治大学生・古賀政男は、手痛い失恋を被ってしまいます。

 

昭和3年(1928)年夏、友人と宮城県の青根温泉を訪れた政男は、絶望のうちに自殺しようとその地の山中をさまよいましたが、彼を捜し求める友人の呼び声で我に返り、自殺を思いとどまります。

 

(中略)

 

歌詞は、失恋して自殺しようと青根温泉の山中をさまよったときの心情がモチーフになったようです。

 

できあがった曲は、昭和5年(1930)10月20日、佐藤千夜子の唄で録音され、日本ビクターから発売されました。ところが、このレコードは期待されたほど売れず、評判にもなりませんでした。B面だったことも影響していたかもしれません。

 

古賀政男は気落ちしましたが、この曲を聴いた日本コロムビアの営業マンが彼の才能に気づき、専属作曲家として引き抜きました。

 

そして、『影を慕いて』を、当時まだ東京音楽学校(現東京芸大音楽学部)の学生だった藤山一郎に歌わせました。昭和7年(1932)3月にレコードが発売されると、空前の大ヒットとなり、以後、古賀政男は順調に花形作曲家の道を歩むことになります。(引用元:二木紘三のうた物語

 

古賀政男が自分の体験を元に書いたこともあるのか、恋の苦しさがひしひしと伝わってきます。

 

というか、恋の苦悩をテーマにした詩は無数にありますが、その最高傑作の一つではないかと思うのです。

 

いろんな歌手が唄っておりますが、やはり、藤山一郎の歌唱が最も気品高く、文学的な香りに浸りきることができます。