今回は阿久悠(あくゆう)が作詞した「目覚めた時には晴れていた」をご紹介。

 

目覚めた時には晴れていた

 

目覚めた時には

いつでも晴れてる

あなたとわたしの

愛の暮し

たとえば涙が

たとえば嘆きが

ひそかに忍んでいるとしても

この手のひら

こう重ねて

愛と愛を つなぐの

だから雨も だから風も

しらない目覚めよ

 

目覚めた時には

晴れてはいるけど

なぜだかそのあと

時にはくもる

あまりに愛して

あまりに信じて

息苦しくなる

甘い嘆き この唇

こうあわせて

愛と愛を かよわす

これが二人 それが二人

二人の世界ね

ルルル……

 

「目覚めた時には晴れていた」という曲の歴史と現在

 

目覚めた時には晴れていた」という曲を最初に歌ったのは、フォークグループの「赤い鳥」である。1971年放送の土曜グランド劇場「2丁目3番地」というテレビドラマの主題歌として、赤い鳥が歌った。

 

その後ビリーバンバンが1974年3月1日にリリース。続いて、朝倉理恵がレコーディング。1974年6月21日に発売された朝倉のLP「誰のために愛するか」に収録された。

 

その後、土曜グランド劇場「2丁目3番地」の演出家が、あの曲を主題歌として再び使おうと「伝書鳩」 を起用し、「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれる凄い子連れママ」主題歌として制作された。

 

ビリーバンバン版は、その後ベスト等のCDに収録。

 

赤い鳥版は長らくマスターテープの所在が不明になっていたが、その後発見され、2018年発売の『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』に収録された。

 

私はYouTubeで聴いた赤い鳥版が最も良いと感じたので、『坂田晃一/テレビドラマ・テーマトラックス2』を購入した。

 

阿久悠という作詞家を取り上げることに、躊躇した理由

 

阿久悠が作詞家として類まれな才能を有していたことは、誰もが認めるところだと思う。

 

しかし、商業主義の俗世にまみれすぎ、ご本人もおそらくたぶんに俗っぽいところがあり、私としては、このブログ「美しい言葉」で取り上げることに躊躇してきた。

 

多くの売れっ子作詞家がそうであるように、自身の文才にまかせ、いい加減に書いた、一般大衆をみくびった文言がないとは、阿久悠自身も断言できないだろう。

 

やはり、詩人と呼ぶためには、商業主義に走った人間とそうではない人間とは、分けて考えるべきだと私は思っている。

 

では、なぜ今回、阿久悠の「目覚めた時には晴れていた」を取り上げることにしたのか。

 

一つぐらいは良いだろうというという気持ち、できるかぎり、純粋な気持ちで書いたであろう(売ってやろうとう野心の薄い)作品をという想い、そして私自身、この歌詞が好きだからである。

 

「目覚めた時には晴れていた」と感じるのは、恋をしている時だろう。恋とは言えないまでも、ときめきつつ人を想う、その心持ちを想い出したい時、この歌詞を口ずさみたいものだ。