今回は「新妻鏡」の歌詞をご紹介します。

 

新妻鏡

 

作詞:佐藤惣之助、作曲:古賀政男、唄:霧島 昇・二葉あき子

 

1 僕がこころの良人(おっと)なら

君はこころの花の妻

遠くさびしく離れても

泣くな 相模(さがみ)のかもめどり

 

2 たとえこの眼は見えずとも

きよいあなたの面影は

きっと見えます 見えました

愛のこころの青空に

 

3 強くなろうよ 強くなれ

母となる身は幼児(おさなご)の

愛の揺籠(ゆりかご) 花の籠

なんで嵐にあてらりょう

 

4 むかし乙女の初島田

泣いて踊るも生計(くらし)なら

清い二人の人生を

熱い泪(なみだ)でうたおうよ

 

古い歌謡曲について、興味深いエピソードを紹介してくれているブログに「二木紘三のうた物語「新妻鏡」があります。

 

このブログで「新妻鏡」を取り上げている記事のコメント欄に書かれた文章が気になったので、引用させていただきます。

 

古賀政男氏が、生前あるテレビ番組で、この曲について語っていたことが印象に残っています。佐藤惣之助氏から歌詞をはじめて見せられたとき、古賀氏は感動で打ち震えたと言って「僕が心の夫なら 君は心の・・・」とつぶやいたあと、感極まってしばし絶句。そして口をついて出たのが、次の言葉でした。

 

私はね、歌謡曲というものはね、『詩』がお姉さんで、『曲』は妹だと思います。

 

後日、この発言に対し、某作曲家が「古賀さんはああ言われたけれども、私は詩と曲とは『双子の姉妹』だと思います。」と異を唱えていました。歌謡曲にとって詩と曲とは、お互いに、言わば、車の両輪という関係ですから、論理的には某氏の説のほうが正しいように思われます。しかし、古賀氏の言う「姉」と「妹」とは、ひとつのの作品が誕生するまでに至る順序を指しているのであって、「上下」や「優劣」とはまた別の話だと思います。時には愚姉賢妹という例だってありますから。

 

「詩はお姉さん」という言葉が「作曲家」、しかも古賀政男という大家から発せられたところに、却って氏の誠実で謙虚な人柄が偲ばれるように思います。