溝口健二監督の映画「雨月物語」を見た感想。

日本映画の歴史に残る名作を選ぶ場合、多くの人があげるのが、溝口健二監督の「雨月物語」があります。

 

先日、久しぶりにビデオ鑑賞してみたのですが、最初に観た時とは、かなり違ったことを感じたので、それについて、語りたいと思います。

 

雨月物語

 

1953年 大映京都

 

製作:永田雅一

監督:溝口健二

原作:上田秋成

脚本:川口松太郎

依田義賢

撮影:宮川一夫

音楽:早坂文雄

 

出演:京マチ子

森 雅之

田中絹代

小沢 栄

水戸光子

香川良介

上田吉二郎

青山杉作

毛利菊枝

 

日本映画が世界に誇る名匠といえば、黒澤明、小津安二郎、そして溝口健二ですよね。

溝口健二映画で最も評価が高いのは「雨月物語」だと言われています。

 

今回、再鑑賞してみて思ったのは、これは映画というよりも、演劇に近いということ。

お芝居を映像で表現した作品のように感じました。

 

これは怪談ですから、死霊役の京マチ子の存在が際立っているのは当然です。しかし、今回、観た時に思ったのは、これは死霊に憑かれた男を演じた、森雅之の独壇場ではないかということ。

 

それほどまでに、森雅之の演技は、質が高い。演技力がしっかりしているというだけでは足りない。

 

この映画は、幻想奇譚であると同時に、完成度の高い心理劇となっています。

 

ですから、人間の業というか、複雑微妙な心理を役者がどれくらい演じられるかが、大きなポイントなることは当然です。

 

その意味で、森雅之の演技には惹きつけられました。

 

文学的というか、深い人間の心理を演じられる、これぞ「性格俳優」だと絶賛したい気持ちです。

リドリー・スコット監督「エイリアン」の感想

映画「エイリアン」を見ました。

 

SFホラーの名作としてあまりにも有名なエイリアンシリーズですが、その中でも特に評価が高いのが、この元祖「エイリアン」。

 

監督は「ブレードランナー」のリドリー・スコットです。

 

監督:リドリー・スコット

製作:ゴードン・キャロル/デイビッド・ガイラー/ウォルター・ヒル
脚本:ダン・オバノン
エイリアン・デザイン:H.R.ギーガー

 

<キャスト&スタッフ>

ダラス…トム・スケリット(富山敬)
リプリー…シガーニー・ウィーバー(幸田直子)
ランバート…ベロニカ・カートライト(榊原良子)
ブレット…ハリー・ディーン・スタントン(穂積隆信)

 

映画「エイリアン」はこちらで視聴可能です

 

モンスター映画なのですが、ただ視聴者を驚かせたり、怖がらせたりする仕掛けが巧みなだけではありません。

映像美術がたいへん優れていて、古典としての格調さえ伝わってきます。

 

スピード感や迫力は「エイリアン2」の方が上ですが、この「エイリアン」は、沈黙による緊張感の演出が際立っています。

 

例えば、モンスターを登場させる時、ワンシーンだけで、ここまで時間をかけるか、と感じるほど、引っ張りに引っ張ります。

見る方は、緊張を極限まで要求されるので、観終わると、グッタリしてしまうほどです。

 

モンスターデザインをはじめ、アートワークの水準の高さも、この映画の寿命を延ばしているのだと思います。

 

「エイリアン」シリーズはすべて監督が違うので、シリーズは同じでも、異なる映画だと思って見た方が良いかもしれませんね。

 

以下、作品ごとに監督をあげておきます。

 

「エイリアン」リドリー・スコット監督
「エイリアン2」ジェームズ・キャメロン監督
「エイリアン3」デイビッド・フィンチャー監督
「エイリアン4」ジャン=ピエール・ジュネ監督

 

3までは、本当に楽しめます。しかし、4になると、水準がガクッと落ちた気がしました。

たいてい人気シリーズの最後はつまらないのですが、「エイリアン」シリーズのファンの方は、4は見ないほうがいいかもしれませんね(苦笑)。

 

「エイリアン」シリーズを観て思うのは、SFサスペンス、モンスターが出るホラー映画というものの原型がここにあるということ。

 

と同時に、究極までこのジャンルのポテンシャルが引き出されているし、表現も限界まで突きつめられていること。

そのために、このシリーズ後の同ジャンルの映画がつまらなくなってしまうという現象が起きているのではないでしょうか。

 

SFバイオレンスの人気シリーズ「ターミネーター」も凄かったですが、「エイリアン」の方が、映像美が印象深く、マニア向けかもしれません。

 

何はともあれ、この「エイリアン」の登場で、映画の歴史は確実に塗り替えられたことは間違いありません。

ヒッチコック「めまい」の感想

今日取り上げるのは、ヒッチコック監督の名作映画「めまい」です。

1958年アメリカ映画。
監督:アルフレッド・ヒッチコック。
出演:ジャームズ・スチュアートキム・ノヴァクほか。
ヒッチコックが多彩な映像表現を駆使し、後の映画作家に多大な影響を与えた代表作。高所恐怖症に悩まされ警察を辞職したスコティは、旧友の頼みで彼の妻の監視をすることになり……。(引用元:「キネマ旬報社」データベース)

久しぶりに吹き替え版で見た。何回か見ているはずなのに、新鮮な発見がいくつもあった。

キム・ノバクの登場させ方が劇的だ。一目ぼれの瞬間を描いた映画で、このシーンを越えるものはあるだろうか。

彼女が登場してからは、どんどん映像空間の中に引き込まれてゆく。

ここで、大きな力を発揮しているのは、謎。彼女が謎の女であること。容貌や行動など、彼女のすべてがに包まれている。

大きな木の年輪で時代の流れを見せるシーンがある。昔、ずっと以前に自殺した女が、ノヴァクに乗り移っているのではと見る者を思わせてしまう。

手法としては簡単だが、その単純さが強烈な吸引力を生んでいることに注目。クラシックだけれど、ミステリーの原点でもあり、純度が高くて古くならない謎の設定は秀逸だ。

もちろん、この脚本には原作があるのだけれど。原作は「死者の中から」。フランスのミステリー作家、ボワロー=ナルスジャック(ピエール・ボワロー、トマ・ナルスジャック)の小説。

主人公の男が高所恐怖症という伏線が効いている。その張り方が、そのままファーストシーンからの流れを形成している。

主人公は真面目で誠実な元刑事という設定。彼は愛する女と瓜二つの女に出逢い、すべてを整えて、愛を成就する。それに対し、ノヴァクは彼をだましたままという設定がいい。

こういう設定は、今の日本の作家でも常識となっているだろうが、それを消化するのに随分と時間がかかったのではないか。日本の映画では、登場人物と作者との距離が近いのだ。人生をゲームとして突き放して見るとか、感情をぬきにして、人物を操るというのは、日本人はまだまだ苦手である。

世の裏と表をカードのように手際よく見せる技は、やはり西洋の文化なのである。極めてゲーム性の高いヒッチコック映画は、人間や人生の冷めた見方を教えてくれる。

ともあれ、この「めまい」は名作中の名作として認めないという人は少ないだろう。アメリカが膨大な予算を注ぎ込み、瀕死の状態にあった原版フィルムを修復したのが、素直にうなずける。

DVDの特典映像では、この経緯も充分に楽しめた。彼らはこの映像を本当に自分たちの宝物だと信じている、その気持ちがきっちり伝わってきて、胸が熱くなるのを覚えた。