「夏の香り」は純愛ドラマブームの象徴的存在

韓流ドラマのかつての人気作「夏の香り」を最後まで鑑賞した。

 

正直長かった、体力的にも、精神的にも衰弱し、途中挫折の誘惑に何回も襲われた。

 

だが、最後まで見ることができた。見ないではおれなかった。

 

なぜ、だろうか?

 

「夏の香り」は、2003年7月7日から同年9月8日まで放送されたテレビドラマ。全20話。

 

有名な「四季シリーズ」の2作目。

 

監督は、映像美で定評のあるユン・ソクホ

 

「四季シリーズ」はすべての作品の監督を、ユン・ソクホがつとめている。

 

「四季シリーズ」とは「秋の童話」「冬のソナタ」「夏の香り」「春のワルツ」の4作を指す。

 

「夏の香り」はこちらで視聴できます

 

ベタな古めかしい、純愛ドラマである。

 

この「夏の香り」を評する前に、強く意識すべきは、2003年に放送されたドラマだということだ。

 

今年が2024年だから、20年以上も前の作品なのだ。

 

古いはずである。ドラマ中に携帯電話は登場するが、スマホは出てこない。

 

物語の進行が遅すぎる。3話ぐらいまでは、名作の予感がするが、あとは一進一退で、なかなかストーリーに進展がない。

 

救いは、最終話だ。

 

ラストシーンは、良かった。

 

私は「夏の香り」をけなしたいのだろうか。

 

実は、逆である。

 

大絶賛したいのに、照れくさくて、ほめられないのだ。

 

実は、第1話でメロメロになった。

 

風景がいい。抒情歌のような空気感がたまらない。

 

韓国にはこんなにすばらしい風景が息づいている、それを感じ取れるだけでも、魂が浄化されるようだ。

 

主演のソン・スンホンとソン・イェジンは、いかにも古き良き時代の美男美女で、デリケートな心理劇を好演している。

 

私に最後までドラマを見させたのは、最大の力は、そういうことではない。

 

実は私の中で完全に死滅しそうになっているものを、よみがえらせてくれ、私自身にあった過去の恋愛について、完全な決着をつけれるよう、私を激しく揺さぶり続けたから、私は「夏の香り」を最後まで見ざるを得なかったのだ。

 

最後まで見なければ、私の人生のラストシーンを、鮮明に描き出せない、中途半端な駄作で終わらせてしまうかもしれないという、恐怖心もあった。

 

想えば、私は「四季シリーズ」をすべて見ているが、このシリーズの凄さ、残酷さは、恐るべき力で純愛ブームを巻き起こし、そして、ひとつの時代を確立し、完璧なまでに、純愛ブームを真っ白な灰になるまで燃えつくした上で、終了させてしまったことだ。

 

確かに、あのような時代があった、しかし、跡形もなく去ってしまったのが、純愛ブームだった。

 

ひとつの時代が終わったと同様に、私の中でも、ひとつのことが終わった、というより、死んでしまっていた。

 

ドラマとは恐ろしい。

 

完全に死滅していたものを、揺り動かし、よみがえらせてしまうのだから……。

神様、お願いします~風花未来の詩14

風花未来の詩、超ひさしぶりの更新となります。

 

今回で、15作目ですね。1作目が「0」でカウントしていますから、実際についている数字より、一つ多いんです。紛らわしいかな。でも、もともと、数字なんて大した意味を持たないので……。

 

青春期に書いた詩も、これからは載せてゆくかもしれません。

 

  • 風花未来が、風花未来の詩について動画で語りましたので、ぜひとも、ご視聴ください。

 

⇒【動画】風花未来が自身の詩について激白!

 

神様、お願いします

 

神様が、ひとつだけ願いをかなえてくれるのなら
わたしは、こう、お祈りするだろう

 

この世を去るときは
死ぬときは
昇天させてください

 

あの蒼い空に
真っ白な霧のような雲に
吸い込まれてゆきたいのです

 

空に舞い上がってゆくとき
地上には何が見えるだろうか

 

あの二十五歳で亡くなった
詩人が見たように
赤い服を着た少女たちが
輪になって踊っているだろうか

 

遠い昔、せいいっぱい愛しながら
結ばれなかった人に逢うために
生まれかわって
その人のいる場所に降りたいと
願っていたころがあった

 

でも、今は
そんな大それたことは思えない

 

ただ、ただ
ふわりと浮き上がりたい

 

何もかもを手ばなし、忘れて
重力さえもうしなって
風にのってゆきたい

 

あのお日様にむかって
蒼い空に吸い込まれてゆきたい

希望の未来をつくるために必要な「誰も語らない視点」とは

私たち日本人が日本の歴史を検証する時、よく使われる言葉に「自虐史観」があります。

 

日中戦争、太平洋戦争において、日本はとんでもない過ちを犯したとする、自らを貶める歴史観を「自虐史観」と呼ぶのです。

 

戦後の歴史教育は、この「自虐史観」が基本となっているとされ、近年かなり見直されてきました。

 

それに対抗して出てきたのは、櫻井よしこ氏や神谷宗幣氏が提唱する「自尊史観」です。

 

日本は素晴らしい国だ、日本人は世界で最も優れた民族である、とうふうな自画自賛の歴史認識を「自尊史観」と呼ばれています。

 

私、風花未来は、「自虐史観」も「自尊史観」も、どちらも不充分であると痛感してきまして、独自に「人間史観(愛情史観)」なるものを考案いたしました。

 

人間の中には天使も悪魔も棲んでいます。時に、菩薩にもなり、餓鬼にもなるので、人間なのです。

 

そいう多面体である人間の営んできた歴史を、善とか悪とかで、一面規定するのでは、必ず歴史そのものを歪めてしまいます。

 

より良い未来を創造するため、その一点の目的にのみ、歴史は検証されるべきである、というのが風花未来の基本的な考え方です。

 

より良い未来をつくるためには、そもそも人間が持っている、様々な要素をすべて受け入れる包容力(深い愛)が求められます。

 

良いところだけでなく、悪いところも、受け入れ、深く運命を愛する、運命愛にも似た歴史観こそが必要。

 

業が深く、愚かで、愛らしい存在である、多様な人間像を認め、許し、創造的な未来につなげるプランの立案には、風花未来が提唱する「人間史観」「愛情史観」が不可欠だと私は信じています。

 

「人間史観」、あるいは、深い愛をもって人間のすべてを受け入れることから「愛情史観」と呼ぶ、風花未来の歴史認識、創造的未来のための詩想は、以下の動画でも語りましたので、ぜひとも、ご視聴くださいませ。