今回ご紹介するのは、やさせたかしが作詞した童謡「手のひらを太陽に」です。

 

さっそく、引用してみましょう。

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

 

たいへんわかりやすいので、解説の必要はありませんよね。

 

1961年、戦争が終わって15年ほど経って作られた、戦後日本の生命讃歌の代表作と言えるでしょう。

 

「手のひらを太陽に」の誕生エピソード

 

「手のひらを太陽に」の作詞は、やなせたかし、作曲は、いずみたく。1961年に制作され、翌1962年にNHK『みんなのうた』で放送されました。

 

やさせたかし自身が「手のひらを太陽に」を作詞した時の心境を語っており、たいへん興味深いので引用しておきます。

 

厭世的な気分になって追い込まれていた時のことです。暗いところで自分の手を懐中電灯で冷たい手を暖めてながら仕事をしていた時に、ふと手を見ると真っ赤な血が見える。自分は生きているんだという再発見と、その喜びを謳歌して頑張らなくちゃと、自分を励ますためにこの詞を作った。

 

商業主義の渦中で詩才を開花させた、やなせたかし

 

戦後、日本の詩は芸術表現としては、衰弱してゆきます。

 

原因はいろいろ考えられますが、戦後のマスコミの発達と、経済の高度成長にともない、日本人の生活が商業主義の浸透が大きいとでしょう。

 

戦前、戦中、自分の短い生涯を燃やし尽くすように生きた詩人は姿を消し、詩才に恵まれた人材は、商業主義の世の中と折り合いをつける形で、自らの才能を活かそうとします。

 

その一人が、今回ご紹介している、やなせたかしです。

 

やなせたかしプロフィール

 

やなせ たかし(1919年〈大正8年〉2月6日 ~2013年〈平成25年〉10月13日)は、日本の男性漫画家、絵本作家、詩人。享年94歳。

 

『アンパンマン』の生みの親として有名です。

 

絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなしたといい、編集者、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターなど様々な活動を行っていたといいます。