映画「FOUJITA」が公開前から話題になっているようですね。先日、友人と早稲田松竹で行われた小栗康平監督のトークショーに行ってきました。
立ち見となり、1時間ほど立って聞かされる羽目に。友人との付き合いで行ったのですが、もう2度と映画監督のトークショーには行かないと思いました。
トークショーには行かないと決めたのは、1時間立たされ膝が痛くなったからでも、小栗康平監督の話が面白くなかったからでもありません。
映画は、作品を見ればすべて感じとることができるので、監督自らの説明は必要ない、そのことを確認できたからです。
小栗監督の話は本当につまらなかった。つまらないという意味は話に価値がないということではなく、当たり前なことを淡々とマイペースで話しておられただけだからです。
そういうことは映画の中に入っているので、しゃべってもらう必要は私にはありません。
ただ、小栗康平監督の人気の秘密は理解できました。
軸がブレていないこと。
「泥の河」でデビュー以来、一貫して信念を主張し続けている。商業主義に傾いたり、エンタメに流れたり、受け狙いに走ったりしない、希な人なのです。
そういう人は、現代社会には、ほとんどいないため、多くに人が心のよりどころとして「小栗ワールド」を求めているのではないでしょうか。
それと、小栗監督の若さには、のけぞりそうになりました。とても70歳とは見えません。
映画づくりに今も燃えていらっしゃることが、あの若さを保っているのだと思います。
小栗康平監督は、私が尊敬する数少ない映画監督の一人です。「泥の河」は特に強烈な記憶があって「小栗監督=泥の河」という図式が私の中でできあがっています。
20代の頃に「泥の河」を映画館で見て、体全身が痺れて動けなかったことを今でも鮮明に憶えています。映画鑑賞によって、そのような強烈な体験ができたのは、これまでに数回しかなく、私にとっての大事な宝となっているのです。
チャップリンの「ライムライト」、ヴィスコンティの「若者のすべて」、そして小栗康平の「泥の河」が、私の映画体験の原点となっています。
この三作は、すべて哀しい映画です。しかし、その哀しさの中に、これほど人間への愛おしさを純粋に表現されている作品は稀有なのですね。
トークショーの後、久しぶりに「泥の河」を見ました。
予測はしていたのですが、かつての強烈な感動は甦りませんでした。昔、体が痺れるほどの感動を得た映画は、もう二度と見ない方が良いのかもしれない、そんなことを真剣に思った次第です。
映画館の人いきれにうんざりしたので、映画「FOUJITA」を見に行くかは迷っています。