今回は三好達治(みよしたつじ)の詩「大阿蘇」を取り上げます。
大阿蘇
雨の中に 馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭蕭(しょうしょう)と降つてゐる
馬は草を食べてゐる
尻尾も背中も鬣(たてがみ)も ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草を食べてゐる
草を食べてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭蕭と降つてゐる
山は煙をあげてゐる
中岳の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛濛とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜(くさせんりはま)のとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭蕭と降つてゐる
「大阿蘇」は1937(昭和12)年6月「雜記帖」に発表されました。三好達治は1930年生まれですから、37歳くらいの作品となります。詩集『春の岬』(創元社、1939年)所収。
「大阿蘇」には、三好達治にしか出せない詩風がある。
「大阿蘇」は、つきなみな表現になりますが、三好達治にしか書けなかった詩である、と強く感じました。
手元にある新潮文庫の「三好達治詩集」を開いたのですが、この「大阿蘇」は見つかりませんでした。遠い記憶に、鮮明にこの詩は刻まれているのですが、おそらくは教科書で読んだのだと思います。
三好達治が伝えたいテーマと、言葉の流れ、言葉のリズムが、精妙に溶け合っていて、何度読んでも、心地よいと感じる、稀有な詩作品です。
「大阿蘇」に描き出された雄大な空間と悠久たる時の流れが、せちがらい現代社会に生きる私たちに、この上もない癒しを与えてくれます。
長い日本の詩の歴史の中で、これほど、空間と時間を大きくとらえた詩は他にはないでしょう。
物事を、事象を、突き放した視点から見ることが苦手な日本人ですが、三好達治という詩人は、この「大阿蘇」によって極めて尊い業績を残してくれました。
この「大阿蘇」は「詩を文学的に評価するランキング」にて第5位にランクイン。
三好達治の生涯とエピソード(萩原朔太郎の妹との結婚と離婚)
簡単に三好達治という詩人について記しておきましょう。
三好達治(1900年~1964年)は大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。明治生まれの詩人としては長生きした人で、代表作「測量船」をはじめとする数多い詩集の他、詩歌の手引書「詩を読む人のために」なども出版しています。
師事していた萩原朔太郎の妹であるアイと結婚、やがて離婚。三好達治とアイとの愛憎劇を題材にして、アイの姪(朔太郎の娘)の萩原葉子が小説「天上の花」(1966年出版)を書きました。
三好達治は佐藤春夫の姪である智恵子とも離婚しており、その詩風からは想像しにくい波乱万丈の実生活を送ったようです。
今私は学生なんですが、3年ぐらい前では高校の現国の教科書に乗っていましたよ!
昔からずっとあるってことは多分今後もずっと乗ってるんじゃないでしょうか
はい!
最後の
「もしも百年が〜」
の所は共感できるものがありますよね、、
雨の日は時が遅くなったようにも速くなったようにも感じます
今日雨の中、ゴルフをしました。カートからコースを眺めていたら、ふと『雨が蕭蕭と降っている』と口をついて出ました。
何十年も前に読んだ詩が、心に染みていたのを感じました。
また、山の中で自然をちゃんと感じていた自分も再確認しました。
詩って、やっぱりいいですね。
草千里に行く誘いを受け、ふと「しょうしょうと」の1文と馬が浮かびました。中学で習った阿蘇の詩。
当時、詩をさほど意識してませんでしたが、還暦過ぎてふと言葉を思い出すとは、、、。
凄い詩だなぁ〜っと思いました。
文末を現在形にすることで、読んでいると今まさに阿蘇にいる馬たちの体温や滴る雨の滴が見えてくるように感じます。
「現在形」にすることの生々しさ、この詩は教えてくれました。
馬のうなじや鬣という近景から、次第に山を囲む遠景・景色全体に視点を広げていく手法も天才です。