今回ご紹介する詩は、まど・みちお「さくらの はなびら」です。
【動画】まど・みちお作「さくらの はなびら」を読むと、ふっと救われた気持ちになる不思議…
さくらの はなびら
えだを はなれて
ひとひら
さくらの はなびらが
じめんに たどりついた
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
ひとつの ことが
さくらに とって
いや ちきゅうに とって
うちゅうに とって
あたりまえすぎる
ひとつの ことが
かけがえのない
ひとつの ことが
すべて、ひらがなの詩はたくさんありますが、その中でも「さくらの はなびら」は、完成度が高い詩と言えるでしょう。
「本当のこと」「大事なこと」を簡潔に言い表してくれている、決して「あたりまえ」ではない、「ありがたい」詩です。
「さくらの はなびら」には優れた詩だけが有する魅力が、シンプルかつ美しく表出されています。
それは「極上の驚き」。演出によって作為的に作られたサプライズなら、世の中にあふれかえってきます。しかし、本物の驚きには、滅多に出逢えない。
まど・みちおは「さくらの はなびら」で「時空感覚」を駆使して「あたりまえのこと」こそ「かけがえのないこと」だという真実を、さり気なく提示してくれました。
「時は過ぎ去るのではなく、巡るものである」という言葉が思い浮かびました。
眼の前で花びらを散らしている桜木は、また来年も花びらを散らす。
いま地面に落ちている無数の花びらは、跡形もなく消えてしまう、誰がいつ消したのか、気づく人もいないほど、当たり前に姿を消し、また春には当然のことのように美しい姿を現す。
これは、なんという「不思議」だろう。
桜の木だけでなく、こうした「不思議」はいくらでもあるが、人は「当たり前」なこととして、見過ごしているだけではないか。
この「不思議なことを不思議と感じる能力」のことを「不思議感覚」と私は呼んでいる。
もう一人の詩人、金子みすゞはこの「不思議感覚」をそのまま詩にしてしまっているので、こちらをお読みください。
まど・みちおの「さくらの はなびら」で特筆すべきは、その「時空感覚」だ。
「時空感覚」とは、時間と空間に関する特殊な直観力とでも呼ぶべき感覚のこと。
この「時空感覚」は、詩人の特有の感覚で「詩心の7つの特長」の一つです。
まど・みちおは、次のように書きます。
いま おわったのだ
そして はじまったのだ
桜の花びらが散るのを見て、このように感じる人は、まずいないでしょう。
でも、まど・みちおは、このとおりに感じ、そのとおりを詩にしたのです。
「終わり」と「始まり」が同じ、だということは、何を意味するか?
このことは、極めて大事な真実を含んでいる。
世界では、毎年同じことが繰り返される、それは、時間が流れているのではなく、回っていることを意味するのでは?
すべてのものは円を描くように動いているのではないか。そうであるならば、まど・みちおが言うように「はじまりは おわり」であり、「おわりは はじまり」なのだ。
時間は、誕生から死滅まで、一直線に流れているのではなく、円を描くように、まあるく巡っている……そう考えると、ふっと救われたような気持ちになりはしませんか?
日本の名作詩を集めてみましたので、ぜひとも、ご確認くださいm(__)m
桜の花びらで、ここまで書けるのは天才だ
天才
そうだよね
うん
桜でこんなに考えさせられるとは、、、
凄すぎる、、、
「にとって」は、…の身から見て、の意で主に人物を受けるが、元の動詞「とる」が事物を自分側に引き入れるという意味であるところから、受け手としての立場・視点を表わす気持ちが強い。 「からみて」は、「にとって」にくらべて、こちらから働きかける気持ちが強い(表例(1))。
「落ちた」のではなく、
「たどりついた」のだ。
「不幸」ではなく、
「幸福」なのだ。
あああああ
はなびらがおちたじめんから
いっきにうちゅうまでとばされた