今日は八木重吉の「みんなも呼びな」という詩をご紹介します。

 

みんなも呼びな

 

さて あかんぼは

 

なぜに、あん、あん、あん、あん なくんだろうか

ほんとにうるせいよ

あん、あん、あん、あん

あん、あん、あん、あん、

うるさかないよ、うるさかないよ

よんでるんだよ

かみさまをよんでいるんだよ

みんなもよびな

あんなにしつこくよびな

 

「みんなも呼びな」は、1925年(大正14年6月7日)付けの手稿小詩集「ことば」に収録されている。

 

以前、ご紹介した「鞠とぶりきの独楽」と、リズムが同じであることに気づいた人はおられるだろうか。気づいた人は間違いなく、八木重吉マニアである。

 

八木重吉の詩「鞠とぶりきの独楽」と高村光太郎の推薦文。

 

「鞠」は「まり」、「独楽」は「こま」と読む。回して遊ぶ、あの玩具の「独楽(こま)」のこと。

 

以下「鞠とぶりきの独楽」の一節を、少しく引用してみる。

 

てくてく

こどものほうへもどってゆこう

 

こどもがよくて

おとながわるいことは

まりをつけばよくわかる

 

あかんぼが

あん あん

あん あん

ないているのと

 

まりが

ぽく ぽく ぽく ぽくつかれているのと

 

火がもえてるのと

川がながれてるのと

木がはえてるのと

あんまりちがわないとおもうよ

 

赤字にしたのは、八木重吉が得意とする、擬態語・擬声語が使われているからだ。

 

「てくてく」「あんあん」「ぽくぽく」、この言葉の使い方は、八木重吉が確立した表現法と言えるだろう。

 

で、今回ご紹介している「みんなも呼びな」でも「あんあん」が使われ、ものの見事な効果を生み出している。

 

この「効果」の意味は、以下のとおり。

 

ふつう私たちが「神」を語る時、否応もなく、仰々しいまでに形而上学的な言い回しにってしまう。

 

ドストエフスキーの小説で語られる「神」を挙げるまでもないだろう。

 

ところが、八木重吉は「てくてく」「あんあん」「ぽくぽく」といった擬態語や擬声語のリズムによって、親しみやすく、軽いユーモアを交えて、読者を神のところに案内してしまう。

 

八木重吉マジックと呼ぶべきだろうか。この手法は、後にも先にも、八木重吉しか成功させていない。