以下、「詩」「詩心」「詩人」「詩心回帰」について、順に語ってみます。

 

「詩」とは何か?

 

」とは何か?と問われたら、どのように答えるか、その回答が即ち「詩の定義」となるかと思う。

 

まずは「辞書的な回答」から書き始めようかと思ったが、ネットで調べても、かんばしい答えが見つからない。

 

やはり、詩を定義するのは難しいようだ。

 

ちなみに、デジタル大辞泉は以下のように「詩」について説明している。

 

文学の様式の一。自然や人事などから受ける感興・感動を、リズムをもつ言語形式で表現したもの。押韻・韻律・字数などに規定のある定型詩と、それのない自由詩・散文詩とがあり、また、内容から叙情詩・叙事詩・劇詩などに分ける。

 

う~ん、これでは「詩」の説明としては、いかにも不充分だ。しかも、核心からずれているようにも感じる。

 

では、さっそくだが、風花未来は以下のとおり、詩を定義したい。

 

「詩」の定義

 

「詩」とは詩という文学表現ジャンルに属する作品を指すが、それだけではない。

 

「詩」は文学作品だけを指すのではなく、合理的・論理的・計量的・効率的・功利的な要素を超越して、人の心を揺さぶるプラスアルファの「何か」のことである。

 

その「何か」は、現実にある物体である必要はなく、眼に見えなくてもかまわない。

 

「詩」は「ときめき」に似ているが、それ以上の何ものかである。

 

「詩」は「おののき」である。単なる「ときめき」を超えた、衝撃的な感銘を与えてくれる。オオッっと思わず簡単の声をもらしてしまう、予測を良い意味で裏切る意外な快感を覚えるものが「詩」である。

 

人は「詩」に対し、心地よい眩暈(めまい)さえ覚え、感動して落涙することも珍しくない。

 

時に、神秘的で、摩訶不思議で、想像を絶する驚きを与えてくれるものであり、哀しく、美しく、生きとし生きるものへの慈しみの情を呼び覚ましてくれる。

 

 

「詩」に接すると、時に元気になれ、生きる勇気をもらえる、歓びがあふれてくる、理由の説明がつかない、人間の心身(主に精神)を無意識レベルで反応させるものだ。

 

一瞬のうちに、時間と空間を超えて、永遠を感じさせてくれるもの。

 

崇高かつ深淵で、極めて稀でありつつ、完全なる普通、あるがままそのままのものである。

 

「詩」は「ときめき」以上の超ポジティブな何かだ

 

「ときめき」を類語辞典で調べると、以下の類語が出てくる。

 

喜び 幸せ 幸甚 華やぐ心 胸キュン 心が弾む 胸騒ぎがする 心躍る ワクワク ドキドキ 胸が高鳴る 弾む心 ルンルン気分

 

では、「おののき」の類義語は?

 

スリル 身震 戦慄 ぞくぞくすること 身振 震 寒慄 震慴 震慄 震え おじけ 身震い 震い 身振い 身ぶるい

 

「ときめき」には恐怖心はなく、一方「おののき」には「怖れ」の気持ちが含まれていることがわかる。

 

だが、私は辞書通りに「おののき」という言葉を使うつもりはない。

 

一般的には「ときめき」は常にポジティブに使われが、「おののき」はネガティブな意味が込められることがある。だが、私が「詩」を定義する時には、超ポジティブな意味を込めているのだ。

 

ポジティブもネガティブも超越した「超ポジティブ」な境地の象徴、それが「おののき」である。

 

私が「詩」を定義する時には、心が震える、感動する、魂が震撼するといった強い意味を込めて「おののき」という言葉を使っている。

 

つまり、「詩」とは「ときめき」以上の超ポジティブな感動を意味する「おののき」なのだ。

 

詩心とは

 

「詩心」は「詩精神」、あるいは「詩魂」と呼んでもさしつかえありません。以下、「詩心」で統一して語ります。

 

「詩心」とは一言で説明するなら、「詩」を感じ取る心のことです。しかし、「詩心」という言葉は、実に広く、深い意味を含んでいます。

 

この「詩心」は、詩を書くことの専門家である、いわゆる詩人だけが持っているのではなく、一般庶民も持っています。

 

だから、和歌(短歌)、俳句、近代詩などを理解できない日本人はいないのです。

 

「詩心」は詩を理解し、愛し、また詩を生み出す心でもありますが、実はそれだけではありません。

 

人間が優れたものを作り出す時は、必ず「詩心」がはたらいています。ですから、「詩心」を軽蔑したり、無視する人は、自分の中にある詩心を活用できないので、優れたものは生み出せない、とあえて主張したいのです。

 

建築、絵画、彫刻、音楽、陶芸、文学などの芸術はもちろん、料理、喫茶、ダンス、大道芸、ファッション、接客などにも、「詩心」が必要だと私は思っています。

 

「詩心」は美的センスであり、創作能力であり、あらゆる表現活動の核となるものなのです。

 

そして忘れてはならないのは、詩心とは「何ものにも支配されない、自由な精神であり、時代(歴史)の本質を見ぬき、未来を予見する直観力」を指すこと。

 

その意味で、あのロシアの大文豪である、ドストエフスキーは紛れもない詩人であったのです。

 

そう、詩人は時に、預言者となります。

 

詩心の7つの美点

 

「詩人」と「真の詩人」の定義のところで、人が「真の詩人」になるためには「自立」が大前提となると述べました。

 

以下では、「自立」した「真の詩人」が有する「詩心」について解説します。

 

「詩心」には7つの美点(特性・特長)がありますので、その一つひとつについてご説明しましょう。

 

1)生きとし生けるものへ愛情(慈愛

 

すべての生命に対する無条件の愛を有する心を詩心と呼ぶ。

 

2)視点を自由に動かせる能力(視点移動

 

視点を固定してしまうことほど、非生産的かつ危険なものはありません。

 

視点を左右、上下だけでなく、過去や未来にも自在に動かせる能力こそ、豊かな明日(希望ある未来)を創造するためには欠かせません。

 

空間だけでなく、時間においても、自由に視点移動できるのは、詩心の働きによるものです。

 

より高次元の優れた結論を導きだすためには、複数の視点が必要だとはよく言われること。しかし実は、個人は視点を一つしか有しておらず、複数の視点とは、視点を移動させた結果、視点が増えることを意味するのです。

 

この視点移動の能力は、真実の解明、歴史の深い理解、左右の分断などによる誤解の解消、より豊かなプランの創造などに役立ちます。

 

実はこの「視点移動」の名人だったのが、詩人の金子みすゞなのです。

 

金子みすゞは「視点移動」の魔術師である

 

3)すべてのものから自由な精神(自由

 

既成概念、固定概念、先入観、道徳、宗教、イデオロギー、あらゆる洗脳・謀略工作などから自由な精神を詩心と呼ぶ。

 

4)物事の本質を見ぬく洞察力(直観

 

事象の核心をつく、物事の本質をつかむ洞察力を、詩心と呼ぶ。

 

5)美を感じる(もののあはれを知る)心(審美

 

豊かに美を感じ、もののあはれを知る繊細な心を、高い審美眼と美意識そのものを、詩心と呼ぶ。

 

6)未来を予見し、より良い未来を企画する能力(想像力

 

豊かなイマジネーション(想像力)も、詩心の大事な特性。想像力が優れているからこそ、より良い未来の形を、具体的にプランニング(企画)できるのです。この想像力を拡張するなら、未来を予見する予知能力を持つことも可能でしょう。

 

7)幸を分け合う、和の精神(調和

 

人と空間(自然・街)と時間(歴史・伝統文化)との調和を希求する精神を、詩心と呼ぶ。

 

和を尊び、魂と宇宙との調和を求めるのも、優れた詩人の特徴。

 

「和の精神」は、利己愛を、さらには利他愛をも超えた、広くて深い大きな愛だと言えるでしょう。

 

金子みすゞの「利他愛」と、それを超えたさらに大きな愛とは「大きな愛」とは

 

「詩人」と「真の詩人」の定義

 

詩人とは詩を書く人だけを指すのではなく、詩心を持っている人全員が詩人なのです。自分では気が付いていない場合が多いのですが、誰もが詩心を持っています。ですから、すべての人は詩人なのです。

 

ただし、風花未来が提唱する「詩心回帰(風花回帰・風花未来)」で「真の詩人」を以下のように規定(定義)しております。

 

「真の詩人」となるには「自立」していることが大前提。

 

「自立」するには、被害者意識を捨て、問題を社会や政治のせいだけにするのではなく、問題は自分にも責任があることを自覚しなければならない。

 

「自立」は社会との隔絶するのではなく、むしろ積極的に関わることを意味する。

 

より良く社会と関わるために、自分で感じ、自分で考え、自分で意思決定し行動できる、基本的な能力を身につけ、その能力をベースに社会活動(自己表現)することを「自立」と呼ぶのです。

 

自立」し、真の「自由」を獲得し、人(人間の存在と営み)と空間(自然・街)と時間(歴史・伝統文化)との「調和」を希求して行動する人を「真の詩人(自らの詩心を存分に活かして生きている人)」と「詩心回帰」では定義しています。

 

詩心回帰とは

 

詩心回帰」とは、忘れかけていた大切なこと(心のふるさ)とを取り戻し、詩心の7つ美点を活用して未来の豊かな暮らしを創造してゆきましょうという運動のこと。

 

忘れてしまった大事なことを想い出すヒントとして「日本の名作詩ベスト100」をご提案。優れた日本の文化遺産である詩や映画に触れることで、失ってしまったものを取り戻すきっかけにしていただきたいのです。

 

では、以下で、詩心を使う目的と詩心の特長について述べてみます。

 

「詩心」は以下の2つの基本効用があります。

 

※基本効用の1を「創造的回帰」と基本効用の2を「創造的進化」と呼ぶ場合もあります。

 

創造的回帰)忘れかけていた大切なものを取り戻せる

 

私は誤解を恐れずに「私は政治について、自分が幸せになるために語っている」と断言します。

 

大事なのは「自分だけが幸せになりたい」というのではないこと。

 

自分も、そして他の多くの人も、いっしょに幸せになりましょう」という切なる願いを抱くことが大切だと私は思っています。

 

「詩心」も実は、人を豊かにし、幸せにするためにあるのです。

 

なぜか?

 

例えば、「どこか遠い街の駅の待合室に、とっても大事なものを忘れてきてしまった気がしている。それが何であるかを、詩を読むことで気づいた」ということはよくあるのです。

 

極めて大切のもの、自分が生きている証しと言いたいような、本当の自分がかつては胸に抱いていたものを、ふとしたきっかけで、取り戻せることはあります。

 

実は、それも「詩心」の効用のひとつです。

 

大事のものを取り戻すこと、心のふるさととも言うべき本当の自分が自然に息づける場所に帰ることを、風花未来は「創造的回帰」と呼んでいます。

 

忙しく、仕事や生活に追われまくって、自分に帰る時間さえなかった、そいういう人は多いのではないでしょうか。

 

「詩心」を想い出せば(取り戻せば)、だいじょうぶですよ。

 

空に流れる雲の動きに幼い頃の記憶を手繰り寄せる、それは「詩心」の働きです。「詩心」は「夕焼けがきれいだな」とか「優しい雨音に酔いしれる」とか、当たり前の豊かさを、私たちに返してくれます。

 

また、詩心を存分に活かせれば、本当の自分に帰ることも可能となるのです。

 

だから、豊かに、幸せになるために、「詩心」を活用しましょう。

 

創造的進化)取り戻した大切なものを生かして、美しく、豊かなものを創造できる

 

「詩心」をポジティブに創造的に活用するよう、心掛けるべきです。

 

人は良いものを作り出す時、無意識のうちに「詩心」を活かしています。

 

美しい建造物を見た時、この建物はまるで詩のようだ、と形容したくなったことはありませんか。

 

その建物を作った人は、詩人だったのであり、詩心を存分に発揮したとも言えます。

 

私は日本および日本人に決定的に欠けているのが、あるいは諦めているのが、美しい景観に対する意識です。

 

建物や道路、街路樹、背景となる風景が美しければ、ベンチに腰を下ろして、じっとその景観を楽しむことでしょう。

 

しかし、看板だらけの街並み、街路樹も歩道さえもない、狭い道路が、もう当たり前のものだとして、日本人は諦めているかに見えます。

 

国宝の建造物を継承することは大事ですが、私たちがふつうに生活している街の風景を美しくする、そうしたい、という意識を持たないということは、自ら「詩」と「詩心」を放棄しているようなものです。

 

なぜなら、「詩心」は美と平和と安寧を愛するからです。

 

もちろん、建築だけでなく、料理、陶器、文具、家電なども、なぜ、もっとシンプルで美しくならないのか、と感じませんか。

 

美は、化粧やファッションだけにあるのではない。

 

歩いていて心が和らぐ小径、清流が静かにながれる街並み、そこにたたずむだけで癒される大きな樹木のある公園など、「詩心」を発揮すれば、必然的に素晴らしい空間を生み出そうとするでしょう。

 

また、保育園や老人ホームなどの施設も、機能性だけでなく、そこにいて心和めるデザイン性(美意識)にも配慮してほしい。

 

いかがでしょうか。

 

このように「詩心」を創造的に活用すれば、社会はもっと潤いあるものになり、私たちの暮らしも豊かになるのです。

 

希望あふれる未来を作り出し、真の進化を遂げることを、風花未来は「創造的進化」と呼んでいます。