山田太一が脚本を担当したドラマは全部見てみようということから、木下恵介アワーで放送された「二人の世界」を鑑賞しました。

 

というか、現在、最終回だけを見ていない状態です。「そうなのか、このドラマはそういうドラマだったのか」ということに気づいたので、忘れないうちに、感想を書いてみたいのです。

 

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脚本ですが、「岸辺のアルバム」にあるような山田太一節は、この「二人の世界」には出ていません。その理由は、もちろん、木下恵介のドラマだからだと思われます。

 

ですから、「二人の世界」は山田太一のドラマだと思って見ない方が良いでしょう。

 

まあ、そんなことより、あらゆる先入観を捨てて、純粋にこの古いふるいドラマ「二人の世界」に、どっぷり浸ることです。

 

この世界に没入しないかぎり、このドラマは、その正体を明かさない気がします。

このドラマは1970年に制作されました。「岸辺のアルバム」が放送されたのが1977年ですから、それより、7年も前に作られたのが「二人の世界」なのです。

 

ドラマが大好きな私ですが、さすがに1970年の作品のレビューを書くのは初めてです。

 

「二人の世界」はあまりにも古いし、ブログで感想をアップしたりしても、意味はないのではないか、と考えたりもしました。

 

何しろ、時代背景が今と違い過ぎます。役者も、竹脇無我栗原小巻ですから、全く知らない人もおられるでしょう。私にとっても、本当に、気が遠くなるほど古いテレビドラマなのです。

 

しかし、回を重ねるごとに、この不思議なドラマ空間に、のめり込んでしまい、どうして、この古めかしいドラマが私をこうも強く引っ張るのか、それが判然としないので、余計に深く埋没してしまったのでした。

 

主人公の夫婦は、ごく平凡な人間です。ささやかな人生が静かに描かれてゆきます。さして大きな事件があるわけでもないのですが、全26話、飽きることなく見てしまいます。

 

私は25話まで見たのですが、最後まで見てしまうのが、もったいない気がして、最終回を鑑賞するのは、明日にしようと思っているのです。

 

最終回の前まで見て「二人の世界」は、『祈りのドラマ』であると気づきました。

 

作者の「人に、幸あれ」という思いは、強く純粋で、透明な祈りの精神にまで高められていると感じたのです。

 

私以外の人が「二人の世界」を見て、どう思うか、それは予想すらできません。現代から見ますと、「二人の世界」はリアリティに欠けるかもしれない。

 

竹脇無我と栗原小巻が演じる夫婦のような清浄な魂を持った人間などいないと考える方がふつうでしょう。

 

しかし、どうしても、二人を美しいと感じてしまう自分自身を抑えきれないのです。

 

劇中で何度も繰り返されるナレーションが実に印象的なので、ご紹介します。

 

ひとつの巡り合いが、二人の世界が、ただ二人の幸せではなくて、より広い世界を照らすのでなければ、二人の世界も、その命を失うだろう。

 

経済的に右肩上がりだった頃の日本に生きた平凡な夫婦の物語。二人の思い、そして周囲の人々との関わりがきめ細かく描かれるのですが、そのささやかな暮らしにある、優しさや気づかいにこそ、日本人の心の原風景があると感じたのでした。

 

そして、そこには現代という今に暮らす私たちが失ってしまった大切なものが、静かに息づいているのです。

 

「二人の世界」で描かれたドラマ空間は、今も昔も、ありえないお伽の国かもしれません。ただ、そういう世界があることを信じ、人の幸せを願うという「祈り」をなくしてしまったら、未来は闇に閉ざされてしまうのではないでしょうか。

 

ですから「二人の世界」というドラマは、今の私にとって、透明な光であり、祈りであると感じ入ったのも当然なのかもしれません。