山田太一の脚本ドラマが、続々とDVD化されるようです。あの名作「岸辺のアルバム」も、ついにDVDになります。

 

さて、今回ご紹介するのは「夏の一族」です。このテレビドラマは、1995年9月16日、23日、30日 NHK総合「土曜ドラマ」にて放映されました。今から20年近くも前のドラマです。

 

夏の一族-全集-全3話収録

 

全3回(各74分)という微妙な長さのなので、どのような展開になるのか、一抹の不安があったのです。

 

見終わってみると、映画よりも長く、通常の連続ドラマよりも短いという表現形式の素晴らしさに大満足。一気に鑑賞したので疲れましたが……。

 

山田太一節を存分に味わえます。心に食い込んでくるセリフ、人物のからませ方、丁寧なシーンづくりは、まさに名人芸です。

 

このドラマに深みを与えているのは、加藤治子が演じる謎めいた人物の存在です。背景に戦争があり、敗戦の混乱があります。

 

ただ、私がこの「夏の一族」で最も感銘を受けたのは、渡哲也竹下景子の美しさです。

 

というか、二人の演じた人物を見て「かつて日本にはこんなに美しい日本人がいたのか」という奇妙な感動を体験しました。

役者力とか、演出力とか、脚本の力とか、いろんな要素が総合されて、渡哲也と竹下景子の美しさが際立っていることは間違いありません。しかし、そういうことを超越した存在感が二人が演じた夫婦にはありました。

 

今から20年ほど前に、こういうドラマが放送され、そのドラマに出演した渡 哲也と竹下景子が演じた人物は、哀しいほどに美しいのです。

 

今日晴れた空を見つめていて、遠い昔に同じように真っ青な空を見上げていた頃を想い出す時のように哀しいのでした。

 

それにしても、なぜ、これほどまでに哀しいのでしょうか。

 

あるタイプの日本人が消えてしまう、日本の精神風景が失われる予感から、哀しいと感じるのかもしれません。

 

「夏の一族」というドラマは、美しい日本人の残影を描き出したという点で、私にとって特別なドラマとなりました。

 

美しい日本人と申し上げましたが、山田太一の場合は、決して英雄やスーパーヒロインなどは描きません。英雄の否定が前提となった人物造形が山田太一メソッドの基本だと思われるくらいです。

 

どこにでもいそうな人間、だけれども、ひたむきに悩み、少しでも、より良く生きようともがいている人間を、山田太一は好んで描出します。

 

そうした平凡で、誠実な人間が、実に美しく表現されていることが素晴らしい。本来、美しくない人間が美しく描かれていることに驚嘆せざるをえません。

 

黒澤明の映画なとどは真逆の世界ですが、今は山田太一的な世界の方に、なぜか惹かれている私です。