山田今次(やまだいまじ)の「あめ」という詩をご紹介します。

 

あめ

 

あめ あめ あめ あめ

あめ あめ あめ あめ

あめはぼくらを ざんざか たたく

ざんざか ざんざか

ざんざん ざかざか

あめは ざんざん

ざかざか ざかざか

ほったてごやを ねらって たたく

ぼくらの くらしを びしびし たたく

さびが ざりざり はげてる やねを

やすむことなく しきりに たたく

ふる ふる ふる ふる

ふる ふる ふる ふる

あめは ざんざん

ざかざん ざかざん

ざかざん ざかざん

ざんざん ざかざか

つぎから つぎへと

ざかざか ざかざか

みみにも むねにも

しみこむ ほどに

ぼくらの くらしを

かこんで たたく

 

山田今次のプロフィール

 

山田今次(やまだ・いまじ)は、1912(大正1)年10月20日に生まれ、1998(平成10)年10月3日に死去。

 

神奈川県横浜市生まれ、神奈川県立商工実習学校機械化卒。

 

1930(昭和5)年頃より詩作を開始。

 

「プロレタリア詩」「文学評論」などに詩作を投稿。戦後は「新日本文学会」「新日本詩人」に参加。横浜で「時代人」「芸術クラブ」「鳩」などを主宰した。のちに「歴程」編集長となり、横浜市民ギャラリーの館長もつとめた。

 

1948(昭和23)年に「勤労者文学」創刊号に発表された詩「あめ」で注目を集める。

 

詩集に「行く手」(コスモス社)、「でっかい地図」(昭森社)などがある。死後、「山田今次全詩集」(思潮社)が出版された。

 

詩「あめ」の感想

 

以下の3行で、暮らしの貧しさがわかる。

 

ほったてごやを ねらって たたく

ぼくらの くらしを びしびし たたく

さびが ざりざり はげてる やねを

 

「あめ」は1948年の詩ということだから、戦後3年目に作られたことになる。

 

当時とすれば、特別に貧しいわけではなく、ごく普通の暮らしだったのかもしれない。

 

生活水準は低いかもしれないが、この詩「あめ」は貧しいどころか、実に豊かだ。

 

雨を歌った詩は無数にあるが、このように音に特化された作品はない。

 

あめは ざんざん

ざかざん ざかざん

ざかざん ざかざん

ざんざん ざかざか

 

「あめ」は、われわれ人間に、何の言葉も与えない、何の教訓もたれない。ただ「あめ」は「ぼくらの くらしを たたく」だけである。

 

「人は哀しみの極致においては笑い出す生き物である」という話を聴いたことがある。

 

悲惨な戦争が終わって、何とか生き延びたが、未来はどうなるかわからない。

 

「あめ」は過去・現在・未来といった時の流れを超越して、すべてを包み込み、人間の小さなエゴや概念や夢想など、すべてを包含して、暮らしをたたき、その音は雨の笑い声のようにも聴こえる、いや、雨は笑っている、戦争も平和も、愛も憎しみも、これが人間なのだ、世界なのだと、すべてを受け入れ、笑っている雨の表情までもが見えるようだ。