連続テレビドラマ「若者たち」の第17話「友だち」で朗読された詩をご紹介する。
友だち
言うまでもなく素晴らしい
黒い瞳の俺の友だち
太陽に向かって旗を押し立て
足音を立てて歩いてゆく
幾十万の俺の友だち
君たちの旗を遠い遊星に立てろ
新しい世界の真ん中に立てろ
健康を誇る若者よ
幸福を運ぶ若者よ
形がないのに君たちには見える
音がないのに君たちには聞こえる
あの希望という名の不確かな星を
謙虚に勇敢に追い求めてゆけ
移ろいやすい疑惑で
その旅を汚すな
悔恨の吐息で
その旅を終わるな
険しい闘いの時が
蟷螂(とうろう)の斧を押し砕き
毎日見る間に押し流して行っても
時の間の敗北が
君たちのある日を暗闇にしても
音を立てて今地球が回っていることを忘れるな
僕たちは僕たちの錯乱を信じよう
ざまもない失敗を堂々と誇ろう
未来は真っ白な手帳のようだ
新しく始まる音楽のようだ
風や雲やかげろうのように軽く
海や大きな嵐や大きな河のように力強く
僕たちは僕たちの車を押してゆく
もっと緑濃い森の中に
もっと伸びやかな人間の世界に
言うまでもなく素晴らしい
真っ黒い瞳の友だちよ
懐かしい友だちよ
見知らない兄弟よ
※「蟷螂(とうろう)の斧」とは《カマキリが前あしを上げて、大きな車の進行を止めようとする意から》弱小のものが、自分の力量もわきまえず、強敵に向かうことのたとえである。
ドラマの最後に山本圭がこの詩の朗読するのだが、鳥肌が立つほど素晴らしい。
⇒詩「友だち」の朗読はドラマ「若者たち17話」で視聴可能です
1960年代で、社会問題を考え、日本の将来を考えぬいた時、この「友だち」という詩以上の希望の歌は書けなかったのではないか。
この「友だち」は、テレビドラマおよび映画の「若者たち」の究極の訴えであると、強く感じた。
重要なのは、この「若者たち」と現代をつなげることだ。
時代が違うよ、で片づけるのではなく、想像力の翼をマックスに広げて、1960年代の一部の青年の心に肉体に息づいていた、知らか強い息吹を現代において再呼吸することなしに、現代における真の希望は紡ぎだせないとさえ思うのである。
1970年代、日本は60年代とはまるで違う風景に染め変えられてしまう。
その後、現代まで、日本は進化したのか?
インターネットなど、便利化のテクノロジーは営利目的に普及されたが、逆に人間性の退化はすさまじく進んでしまったと私は痛感する。
私の余命はあとわずか、私なりに「希望」を紡ぎ出したという「希望」は抱いている。