金子みすゞの「にはとり」という詩をご紹介します。
にはとり
お年をとつた、にはとりは
荒れた畑に立つて居る
わかれたひよこは、どうしたか
畑に立つて、思つてる
草のしげつた、畑には
葱の坊主が三四本
よごれて、白いにはとりは
荒れた畑に立つてゐる
「100分de名著 金子みすゞ詩集」の著者である、松本侑子氏はこの詩「にはとり」を、金子みすゞの初期の名作と評価しています。
「みすゞ節」はここでは封印されていて、童謡らしい可愛い感じは微塵もありません。
「お年をとつた」「荒れた畑」「わかれた」「草のしげつた、畑」「よごれて」など、ネガティブな言葉が多用されているうえに、歌う言葉の調子がないので、暗く厳しい描写(写生)詩となっています。
ひよこと別れた親鳥の哀しみと孤独が、感傷を排してリアルに表現された、異色の佳作と呼ぶべきでしょう。
この「にはとり」には、元唄があったと松本侑子氏が指摘しています。だとすると、野口雨情の「鶏(にわとり)さん」をアレンジしたのが、金子みすゞの「にはとり」だということになりますね。
以下は、野口雨情の「鶏さん」の全文。
鶏さん
雛(ひよこ)の母(かか)さん
鶏さん
鳥屋に買はれて
ゆきました
大寒 小寒で
寒いのに
雛と わかれて
ゆきました
雛に わかれた
母鶏(ははどり)さん
鳥屋で さびしく
暮すでせう。
野口雨情は日本を代表する童謡詩人で「シャボン玉」が有名です。
野口雨情の「鶏さん」の方が童謡らしいリズムがありますね。
「鳥屋で さびしく 暮らすでせう」でしめくくられ、この寂しげな調子は「雨情節」の片りんと言えるでしょうか。
野口雨情、北原白秋、西條八十、いわゆる三大童謡詩人(童謡界の三大詩人)と比べると、金子みすゞの詩の特性をより鮮明に理解できます。
形式美など、文学的な安定性では、金子みすゞの詩は、三大童謡詩人にはややかなわない気もするのです。
しかし、技巧の完成度などを超えた魅力が、金子みすゞの詩にはほとばしっています。
その「ほとばしり」の秘密については、別の機会に……。