高見順の「われは草なり」という詩をご紹介します。
われは草なり
われは草なり
伸びんとす
伸びられるとき
伸びんとす
伸びられぬ日は
伸びぬなり
伸びられる日は
伸びるなり
われは草なり
緑なり
全身すべて
緑なり
毎年かはらず
緑なり
緑の己れに
あきぬなり
われは草なり
緑なり
緑の深きを
願ふなり
ああ 生きる日の
美しき
ああ 生きる日の
楽しさよ
われは草なり
生きんとす
草のいのちを
生きんとす
古今東西、さまざまな人生論の本があります。「いかに生くべきか」「どのように生きたら良いのか」という素朴な問いに、多種多様な人生訓を集めた本が答えています。
私はというと、二十代の頃に、いろんな本を読みながら、真剣に人生のことを考えたと自分では思っています。
どこまで突き詰められたかはわかりませんが、自分なりに、人生はどのように生きるべきかという問いに答えを出しました。
あの時に出した回答を、今現在、書き直す必要を感じていません。
私の生き方は単純です。以下は私の人生論メモの一部をご紹介。
●あるがままを受け入れ、あるがままにそのままに生きること。
●自分の運命に従って生きる、自分の運命を愛すること。運命愛を持ち続ける。
●人生肯定。人生は素晴らしい、命はみな愛しい。
●大輪の花を咲かせるよりも、踏まれて生きる草の心を愛す。
●しゃがみこんで、広い空を見つめと、世界の大きさを感じる、自分の小ささを感じる。世界は美しい。
私の人生論メモを、詩として表現してくれたのが、高見順の「われは草なり」である、そう思わざるを得ません。