金子みすゞの「石ころ」という詩をご紹介します。
石ころ
きのうは子供を
ころばせて
きょうはお馬を
つまずかす。
あしたは誰が
とおるやら。
田舎のみちの
石ころは
赤い夕日に
けろりかん。
よくわかる、思わず笑みがこぼれる、素晴らしい第一印象
まずは、まずはわかりにくい言葉の意味を確認しておきましょう。
最終行に出てくる「けろりかん」、これは日常では使いませんよね。少なくとも私は一度も使ったことがありません(苦笑)。
「けろりかん」について「精選版 日本国語大辞典」は以下のように説明しています。
〘副〙 (多く「と」を伴って用いる) ぼんやりとしているさま、また、まったく無関心でいるさまを表わす語。けろかん。
※滑稽本・当世阿多福仮面(1780)「おくさまらしいがたった一人、けろりくゎんとした顔で」
何とも、ユーモラスな詩で、思わず笑みがこぼれますね。こういう童謡詩も良いなぁ~。
で、私たち現代人は、こういう田舎道は基本、知りませんよね。
登山をする人を除けば、舗装された道しか歩いたことがない、そういう人もいるかもしれません。
でも、すごく、よくわかる、よく伝わる詩ですね。
金子みすゞが得意とする「擬人法」「視点」の巧みな使い方
金子みすゞが多用する「擬人法」、即ち、詩の中に出てくるものが人と同じ感情を持ち、行動するかのように描き出す手法が、ここでも使われています。
ところが、金子みすゞは「石ころ」になり切って、石ころの視点だけで書いているのではなく、石ころの外側から石ころを客観的に観察する、客観視点も併用している点が特徴です。
小説を書いたことがある人ならばわかりますが、主人公の視点で書いていても、視点を主人公の内側から外側に出し、客観的に描写する場面を書かざるを得ません。
例えば、「金子みすゞ」という名前の主人公の視点(三人称単一視点)で書く場合も、主人公である「わたし」の視点(一人称単一視点)で書く場合でも、視点は主人公の内と外を、出たり入ったりさせながら、物語を進行させてゆくのが小説なのです。
この「視点」を、自由奔放に、しかも効果的に使うのが、金子みすゞの特徴だと言えます。
まあ、このように修辞法を分析するのも有意義なのですが、「どうしてこの詩は魅力的なのか」というポイントを押さえなければ、感想文としては失格ではないかと思うのです。
どこが、どうして、「石ころ」は良い詩なのか?
金子みすゞの「石ころ」に、どうしてこんなにワクワクする? その深い意味…
「石ころ」という、社会的に見たら邪魔者、厄介者であるはずの存在が、金子みすゞの手にかかると、がぜん生き生きと呼吸しだすから不思議。
命も感情もある、それだけではなく、「石ころ」の視点や発想から、この世を、この世界を見直してみると、今まで気づかなかったことを発見できたりする。
さらには、自分が失いかけていた、大切なことに出逢えることもある。
私は「詩」という表現を、人道的に読むのを好みません。道徳的な教訓をたれたくて、金子みすゞは詩を書いているわけではないのですね。
お説教が大好きな人に、真に魅力ある詩は書けません。なぜなら、詩はあらゆる矛盾、相克、葛藤などを飲み込む、奥行きと幅を持ち、何よりも道徳からも自由だからこそ、読んだ人が、その詩を自分の人生の糧とできるのだから。
金子みすゞは人生の先生になろうとはしていませんよね。短い人生をひたむきに生きた、それだけのこと。
光と闇、愛と憎しみ、肯定と否定、苦悩と歓喜、天使と悪魔、天国と地獄、などが、激しく交錯するカオス(混沌)が人生。
この矛盾だらけの世界を、フラット(平板)にならし、たった一つの結論だけを信じて、平穏無事に暮らしたい人に、人の魂を揺さぶり、深い癒しを与える詩は書けません。
神さまからの贈り物のような、可愛らしい詩は、金子みすゞが、とびっきり苦しみ、とびっきり愛した人だからこそ生まれたのだと思います。
愛と苦悩の人、それが金子みすゞです。
「石ころ」に話を戻しましょう。
別れた昔の恋人のことを「単なる石ころにつまずいただけ」と吐き捨てる人がいます。
「石ころ」を悪者として、その人は語っているわけです。
ところが、金子みすゞは「石ころ」を、邪魔者、厄介者、悪者として決めつけていません。
社会の中で、自分自身が、ネガティブな存在となることは誰もが経験することでしょう。
そのネガティブを、ポジティブに転換してくれるのが、金子みすゞであり、詩の持つ力なのです。
「石ころ」を読むと、「そうかぁ、人生には良いことも悪いことも、いろいろあるけど、自分は自分らしく生きていいんだね、今日も良い日だったし、明日も良い日になる気がする。とにかく、笑顔で楽しもう」というふうに感じられたのは、私だけでしょうか。
以上の理由から、この金子みすゞの詩「石ころ」を「元気・勇気が出る詩10選」の1位に選出いたしました。
金子みすゞの詩は、風花まどか大学の教科書…
「風花まどか大学」の「まどか学」と「詩学」は、金子みすゞのポエジー(詩精神)が根底に息づいています。