日本の歌人で私が最も親しんだのは、石川啄木と若山牧水です。

 

この記事では若山牧水を取り上げます。石川啄木に関しては、こちらの記事をご参照ください⇒石川啄木の「一握の砂」について

 

今日は若山牧水の短歌の中から、私が特に好きな7首、選んでみることにします。

 

幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく

 

 

漂白の歌人・若山牧水の代表作であり、多くの人々に愛され続けてきた名作中の名作です。

 

この歌に酷似した詩があります。それは、カール・ブッセの「山のあなた」です。いずれも、満たされぬ思いが消えることを望んで旅を続けているけれども、寂しさや哀しみは消えず、真の安らぎや幸福にも出逢えないという嘆きを詩にしています。

 

若山牧水の「幾山河」とカール・ブッセの「山のあなた」が多くの人々に愛唱されているのは、天性の詩人でなくても、誰もが青春期には一度は抱いたことがある感情を、わかりやすくものの見事に表現しているからでしょう。

 

 

われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追はれつつ

 

 

若山牧水という詩人の試作の動機、原動力となっている感情を、ストレートに歌っていて、その真っすぐさに胸を打たれます。
 

 

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 

 

「幾山河」と並ぶ若山牧水の代表作であり、近代・現代短歌の中で、最も多くに人たちに愛唱されている作品。

 

青春はなぜ美しいのか。それが純粋だからです。純粋な魂はひとつの例外もなく孤独であります。孤独でありたいわけではないけれども、純粋であるがゆえに、魂は孤独を求め、その中に純粋な表現を生み出してゆきます。

 

人は時に「人生は旅である」と言いますが、多くの人は孤独の旅に疲れ、一カ所に落ち着こうとします。しかし、生活を安定させてもなお、心の旅を続けざるを得ないのが人生なのですね。その哀しさと美しさを、牧水は「白鳥」の歌に結晶化してくれています。

 

 

けふもまた こころの鉦を 打ち鳴らし 打ち鳴らしつつ あくがれて行く

 

 

詩人の定義はいろいろあるでしょうけれども、私としては「詩情が次々と内側から湧き出てきて、それが死ぬまで尽きない人のことを詩人と呼びたい」と思っています。

 

その意味から、若山牧水ほど詩人らしい詩人はいないのではないでしょうか。心の中に鳴り続けてやまない鉦(鐘)を抱いて生き切った若山牧水は、歌人というより詩人と呼びたいと私は強く感じています。

 

 

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり

 

 

酒をこよなく愛した若山牧水。その心情がこの歌にはあふれており、一度知ると忘れられない不思議な力を持っています。

 

旅と酒と女を愛した牧水は、凡人から見ると、うらやましいほど自分自身に正直に生きた人でした。

 

誰もが憧れるものに、体全身で憧れ続けた牧水の生き方に共感しない人はいないのではないでしょうか。

 

 

ともすれば君口無しになりたまふ海な眺めそ海にとられむ

 

 

牧水は恋愛歌にも優れたものがあります。読んだ時に思わず赤面してしまうような、あまりの純朴さが牧水の恋歌の特徴と言えそうです。

 

かたわらにいる恋人が海を眺めている、その表情が海に吸い込まれてしまいそうなほどの情愛に満ちていて、牧水は海に嫉妬している。「海を眺めないでください。海に奪われてしまいそうだから」と声にならない声で牧水は叫ぶように歌っているのです。

 

同じような設定の短歌がありますので、最後にご紹介しておきます。

 

 

君かりにかのわだつみに思はれて言ひよられなばいかにしたまふ

 

 

※わだつみ(海神)とは、日本神話における海の神さまのこと。

 

いかがでしょうか? 若山牧水と石川啄木とをこちらの石川啄木に関する記事で比較してみると、興味深い発見ができるかと存じます。