そ岸田衿子(きしだえりこ)の「くるあさごとに」という詩をご紹介。
くるあさごとに
くるあさごとに
くるくるしごと
くるまはぐるま
くるわばくるえ
全行、頭韻を踏み、七音で統一されている、実に語呂の良い詩である。
この軽やかなリズムがなかったら、どうなるだろうか?
詩の内容は一言であらわすならば「人生の苦悩」である。
「くるくるしごと」は「来る来る仕事」というより「来る苦しごと」を表しているであろうから。
内容だけなら「苦しみの歌」であったはずが、軽妙なリズムを勝ち得た時、テーマを「人生の歓喜」とする詩として変貌を遂げた。
この「くるあさごとに」を「苦しみの歌」から「歓びの歌」へ、「苦悩の詩」から「歓喜の詩」に変身させた、独自の音楽性(音韻構成によるリズム感の創出)は、いくら評価してもし過ぎることはない。
「たくましい、人生肯定の詩」だと、私は「くるあさごとに」を受け止めている。
特に「くるわばくるえ」が良い。
私自身、現在、病気療養中のため、世間一般から見たら、忙しくはない生活をしている。
しかし、毎日、あわただしく、毎日が、あっという間に過ぎ去ってゆく。
「生きている実感」をつかもうとしているのだが、いとも簡単に指の間から、生の手ごたえはすりぬけてゆく。
では、毎日が気軽で楽しいかというと、苦しみの方が大きいと感じてしまうのだ。
作者である岸田衿子は「人生の苦悩」から逃げようとしていない。
そもそも「苦しみのない人生」など、存在しない。
苦悩を受け止めてこそ、歓喜への道が開ける、と岸田衿子は良い意味で開き直っているかに見える。
「悟り」というのでは観念的すぎる。
そうではなく、軽やかに体を揺さぶり、ステップを踏むように、苦しむことを楽しもう。
時には狂うことさえあるだろうけれど、狂気があるから人生の手ごたえは確かなものになるのではないか。
というわけで、たった4行の詩だが、この「くるあさごとに」は、現代詩における、極めて稀有な成功事例だと強調したいのである。