今回ご紹介するのは、中原中也の「六月の雨」という詩です。

 

さっそく、引用してみましょう。

 

六月の雨

 

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ
眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)
たちあらわれて 消えてゆく

 

たちあらわれて 消えゆけば

うれいに沈み しとしとと

畠(はたけ)の上に 落ちている
はてしもしれず 落ちている

 

お太鼓(たいこ)叩(たた)いて 笛吹いて

あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます

 

お太鼓叩いて 笛吹いて

遊んでいれば 雨が降る
櫺子(れんじ)の外に 雨が降る

 

中原中也の「特別ではない、普通の詩」

 

中原中也の詩は私にとって特別でした。青春期に最も読み込んだのが「中原中也詩集」でした。

 

中原中也は私にとって特別な詩人です。他のどんな詩人よりも「命がけ」で詩作し、詩と心中した詩人という思いが私の心象に深く刻まれています。

 

そのためか、いったん読まなくなると、全く読まなくなったのも、中原中也の詩です。

 

今回、中原中也の詩を、詩になじみのない人に紹介したいと思い、どの作品を取り上げようか迷いました。

 

で、思いついたのが中原中也の「特別ではない、普通の詩」を読んでもらおうということ。

 

久方ぶりに中原中也の詩集を開いてみると、中原中也の詩情は、時に激しく凡人を寄せ付けないほど苛烈ですが、実はどなたにも親しみやすい「尋常な人間の尋常な心持もち」が根底にあることを確認できました。

 

そこで、選んだのが「六月の雨」です。

 

中原中也の人生の中で最も大事な人物が、二人登場する

 

小林秀雄が中原中也ついて、「歌う」より「告白した」詩人である、また、生涯「叙事性の欠如」に苦しんだと指摘しました。

 

まさに、その通りでしょう。

 

どんなに優れた詩人でも、大した人生経験もなく、詩文学以外の仕事や事業に関わったことがない人間が、自分の内面だけを見つめて詩を作り続けられるものではありません。

 

中原は愚直なまでに、少ない人生経験の中で、自分の魂の深奥を見つめつつ、命がけで詩作にふけりました。

 

中原の30年の生涯は、まるで「詩との爆死」です。

 

そうした中原にも、人を癒す詩はあります。それが、「六月の雨」。

 

この詩には、二人の人物が登場します。※以下は推測ですが、間違いないとでしょう。

 

かつて愛した長谷川康子の想い出。そして、自分の子供である、文也です。

 

長谷川康子は小林秀雄と同棲することになり、文也は幼くして死んでしまいます。

 

そうした予備知識はなくとも、かつての恋人を想い、我が子が愛しい、という心情は誰でも理解できます。

 

恋人と子供という、ごくありふれているけれども確かな存在(対象)を、降っている雨が醸し出す抒情に包んで、中原は穏やかな表情で、一篇の詩を私たちに届けてくれました。

 

それが、中原中也の数多い詩の中でも珍しい、静かで均衡のとれた、心安らぐ抒情詩、それが「六月の雨」にほかなりません。

 

この作品では、中原中也の魂の傷口は閉じていて、痛みもないので、私たちは安心して豊かな詩情に浸ることができるのです。