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    栗原貞子の詩「生ましめんかな」

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    2022/03/18

    美しい詩

栗原貞子の詩「生ましめんかな」

美しい詩

今回は、栗原貞子の「生ましめんかな」という詩をご紹介します。

 

生ましめんかな

 

こわれたビルディングの地下室の夜だった。

原子爆弾の負傷者たちは

ローソク一本ない暗い地下室を

うずめて、いっぱいだった。

生ぐさい血の匂い、死臭。

汗くさい人いきれ、うめきごえ

その中から不思議な声が聞こえて来た。

「赤ん坊が生まれる」と言うのだ。

この地獄の底のような地下室で

今、若い女が産気づいているのだ。

マッチ一本ないくらがりで どうしたらいいのだろう

人々は自分の痛みを忘れて気づかった。

と、「私が産婆です、私が生ませましょう」

と言ったのは さっきまでうめいていた重傷者だ。

かくて暗がりの地獄の底で新しい生命は生まれた。

かくてあかつきを待たず産婆は血まみれのまま死んだ。

 

生ましめんかな

生ましめんかな

己が命捨つとも

 

タイトル「生ましめんかな」の意味

 

まずは「生ましめんかな」というタイトルの文法的な意味からご説明しましょう。以下は、ネット辞典から引用。

 

「生む」と「産む」の意味の違い

【生む】 新しく作り出す

【産む】 母体が子・卵を体外に出す

 

「生む」も「産む」も、どちらもウムと読む同訓異字の語。

 

「生む」は、それまで無かったものを新たに作り出す、生じさせるという意味です。誕生、生成、発生など。

 

「産む」は、母体が胎児や卵を体外に排出すること(分娩)を意味する。出産、産卵など。「生む」をこの意味で用いる場合もある。

 

しむ

 

【助動詞】[しめ|しめ|しむ|しむる|しむれ|しめよ(しめ)]動詞および一部の助動詞の未然形に付く。

使役の意を表す。…せる。…させる。

「人を感動せしむること、真なるかな」〈去来抄・先師評〉

 

む(ん)

 

【助動詞】

推量・意志・適当・勧誘・婉曲・仮定の意味をもち、四段型の活用で、活用語の未然形につく。

助動詞「む(ん)」の活用は、四段活用。 助動詞「む(ん)」は「〇・〇・む(ん)・む(ん)・め・〇」と活用する。

意志の「む(ん)」は、主語が一人称の時に多く見られる(絶対ではない)。

一人称(我など)の主語+動詞+む(ん)。

~よう」「~したい」と訳す。

 

か-な

 

【終助詞】

《接続》体言や活用語の連体形に付く。〔詠嘆〕…だなあ。
出典伊勢物語 九

「限りなく遠くも来にけるかな

[訳] この上もなく遠くまでもまあ来てしまったものだなあ

参考終助詞「か」に終助詞「な」が付いて一語化したもの。中古以降、上代の「かも」に代わって、和歌・俳句や会話文に多く用いられた。

 

作者が文語体でタイトルを書いたことで、けっこう意味を正確に説明するのが簡単ではなくなります(苦笑)

 

「生む」は、この場合、分娩を指すので「産む」と書いても良いのでしょうけれど、具体的な行為としての「産む」より、新たな生命を生み出す意味から「生」の字を使ったと思われます。

 

「しめんかな」は日常生活ではほぼ使わないので、戸惑うかもしれませんね。文法的には、使役+意志の助動詞に詠嘆の助詞がついた語です。

 

「かな」は詠嘆の助詞ですが、「絶対に」「何としても」「ぜひとも」という気持ちがこもっていると感じられますよね。

 

「生ましめんかな」は「絶対に生ましてみせよう」「何としても生ませよう」「ぜひとも生ませてあげたい」「命を懸けても生ませたい」「なんとか無事に産ませてあげたいものだ」くらいの意味にとれば良いでしょう。

 

作者である中島貞子の言葉

 

「うましめんかな」には、平和を産みましょうという気持ちもこもっているのです。

 

「暁を待たず」というのは、8月15日の平和の日を意味しています。 「産婆さん」は、8月15日の平和の日を知らずに死んでいった20万の人々なのです。

 

20万の人々が亡くなったことによって、「新しい命」、新しい広島の心が生まれたのです。

 

私たちは、広島の心、広島の願いを大事に思って、人間がいっしょになって、戦争のない、原爆のない平和な世界を作っていかなければならないと思います(長束小学校HP)

 

詩「生ましめんかな」のモデルとなった人の証言

 

この詩「生ましめんかな」には、実在のモデルさんがおられます。小嶋和子さん。ご本人の証言を以下のリンク先でお読みいただけます。

 

焦土の闇生まれた光 「生ましめんかな」モデル小嶋和子さん

 

吉永小百合さんが「生ましめんかな」を朗読

 

 

原爆をテーマとした、その他の代表的な詩

 

原爆をテーマにした詩を集めてみました

小林一茶の有名な俳句

美しい詩

小林一茶の代表的な俳句をご紹介しましょう。

 

雪とけて 村いっぱいの 子どもかな

 

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

 

 我と来て 遊べや親の ない雀

 

 涼風の 曲がりくねって きたりけり

 

やせ蛙 負けるな一茶 これにあり

 

名月を 取ってくれろと 泣く子かな

 

うまさうな 雪がふうはり ふわりかな

 

詩の朗読(詩人別)動画まとめ

美しい詩 - 詩心回帰・まどか

当ブログ「美しい詩」の運営者である、風花未来が朗読した「詩の朗読動画詩を朗読する動画)」を、詩人別にこのページに集めてみました。

 

【動画】詩の素晴らしさを一人でも多くの人に知っていただきたくて…

 

一つでも多く、優れた詩に親しんでいただくために、コツコツと朗読していきたいと思っていますので、どうか、よろしくお願いします。

 

では、さっそく、ご紹介しましょう♪

 

まど・みちお

 

まど・みちお作「さくらの はなびら」を読むと、ふっと救われた気持ちになる不思議…

 

(詩の朗読と鑑賞)まど・みちお「ぼくが ここに」

 

(詩の朗読と鑑賞)まど・みちお「もうすんだとすれば」

 

(詩の朗読)まど・みちお「とんぼのはねは」

 

(詩の朗読)まど・みちお「どうしてもいつも」~山田太一「丘の上の向日葵」より

 

【動画】まど・みちおの詩「せんねん まんねん」は、時間と空間、生と死の感覚を魔法のように変えてくれる

 

金子みすゞ

 

金子みすゞの詩「蜂と神さま」の朗読

 

(詩の朗読と鑑賞)金子みすゞ「さびしいとき」

 

(詩の朗読)金子みすゞ「大漁」

 

(詩の朗読)金子みすゞ「お魚」

 

金子みすゞの詩「こだまでしょうか」の最後の一行「いいえ、誰でも」の意味は?

 

(詩の朗読)金子みすゞ「明るいほうへ」

 

松本 侑子(まつもとゆうこ)著「NHK100分de名著 金子みすゞ詩集」を読んだ感想

 

(詩の朗読)金子みすゞ「こだまでしょうか」

 

(詩の朗読)金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」

 

金子みすゞの詩「石ころ」の魅力とは!?

 

立原道造

 

立原道造「のちのおもひに」

 

立原道造「はじめてのものに」

 

三好達治

 

(朗読と鑑賞)三好達治の詩「土」

 

(朗読)三好達治の詩「甃のうへ」

 

三好達治の名詩「甃のうへ」を読んで「心のふるさと」を……

 

(朗読)三好達治「雪」

 

(朗読と鑑賞)三好達治の詩「大阿蘇」

 

(朗読と感想)三好達治の詩「大阿蘇」に癒される。

 

(詩の朗読)三好達治「乳母車」~BGM付き

 

三好達治の詩「乳母車」~2020年録音

 

八木重吉

 

八木重吉「鞠とぶりきの独楽」

 

八木重吉「素朴な琴」

 

武者小路実篤

 

武者小路実篤「進め、進め」

 

武者小路実篤「一個の人間」

 

吉野弘

 

吉野弘「祝婚歌」

 

吉野弘「争う」

 

室生犀星

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの……室生犀星詩集より

 

室生犀星「子守歌」

 

中原中也

 

中原中也の詩「桑名の駅」

 

中原中也「一つのメルヘン」

 

中原中也「六月の雨」

 

宮沢賢治

 

宮沢賢治「雨ニモマケズ」

 

宮沢賢治「永訣の朝」

 

高村光太郎

 

高村光太郎「あどけない話」

 

高村光太郎「レモン哀歌」

 

高村光太郎「ぼろぼろな駝鳥」

 

高村光太郎「荒涼たる帰宅」

 

その他

 

ジャン・コクトー「耳」と小学一年生の詩

 

カール・ブッセ(上田敏訳)「山のあなた」

 

パブロ・ネルーダ(笠木透訳)「おいで一緒に(山と川)」

 

木下夕爾「晩夏」

 

中野重治「機関車」

 

 

島崎藤村「小諸なる古城のほとり」

 

西條八十「ぼくの帽子」

 

草野心平「春のうた」

 

萩原朔太郎「旅上」

 

河井醉茗「ゆずり葉」

 

茨木のり子「六月」

 

石垣りん「くらし」

 

竹中郁「竹のように」

 

入沢康夫「未確認飛行物体」

 

長澤延子の詩「告白」

美しい詩

長澤延子の「告白」というをご紹介します。

 

告白

 

真紅なバラがもえながら散ってゆく日

忘却の中から私をみつめる

冷ややかな眼差(まなざし)しを知った

夏の最中(さなか)が訪れようとしているのに

シャツの縫目をかすめて

大気の幻がひっそりと針を立てる

 

病におかされた感受性が

このバラのように散って行こうとした時
たった一巻の書物が

だまって蕾(つぼみ)をつくらせたのが

いま私の孤独の胸にしのびよる

このかすかな郷愁は何なのだろう

 

真赤なバラがもえつきて散って行く日

私の心の瞳をみつめる

大きな冷ややかな瞳を知った

青い海に沈んだ肖像の

睫毛(まつげ)の長い透明な瞳を

ひとたびかちどきをあげた闘争のみちなのに

私の歩みをとどめる

この郷愁は何なのだろう

ひとたび故郷を出た私の前を

階級は闘争をもって待ちかまえているのに

 

真赤なバラが燃えつきて散って行った日

忘却の中から私を見つめる冷ややかな眼差に

白い旗のように烈しくふるえながら

卑怯な人間になりたくないとつぶやきながら

私の心は最高の孤独をいだき

民衆の中にとびこんでゆく

 

長澤延子の詩を理解するためには、彼女のプロフィールを知ることは重要であろう。

 

長澤延子のプロフィール

 

長沢 延子(ながさわ のぶこ)は、1932年2月11日に生まれ、1949年6月1日に死去。日本の詩人。群馬県立桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高等学校)卒業。姓の長沢は長澤とも表記される。

 

4歳で母と死別し、12歳で伯父の養女となる。養家は桐生の裕福なお召織屋。自分の一番最初の記憶が母親の死に顔であるという長澤延子は、幼い頃から何度か自殺未遂をした。

 

1946年(昭和21年)に自殺した原口統三の遺著『二十歳のエチュード』(1948年刊)に強く感化され、自らを「原口病」であると称した。日本青年共産同盟(青共)に加入。1949年(昭和24年)3月に女学校を卒業後、間もなく服毒自殺を遂げた。亡くなる前に詩と手記を清書した5冊のノートを親友に託していた。

 

長澤延子の「告白」が刻む、渇いた青春の残像

 

原口統三(はらぐちとうぞう)の「二十歳のエチュード」を今も書棚に置いている人は、どれくらいいるだろうか。

 

私も青春期に読んだが、二度と読み返すことはないと思っていた。

 

先ほどアマゾンで検索したら、電子書籍なら無料で読めるので、一応は注文しておいた。

 

穢れなき気負い、激しい自己否定の精神、そして爪先立って天空を見つめる澄んだ瞳は、青春期の私を惑溺させるには充分であった。

 

では、自ら「原口病」と称した長澤延子の詩「告白」はどうだろうか。

 

同じだ。否応もなしに背伸びして結論を性急に求めてしまう、青春期にありがちな病巣が見てとれる。

 

生き急ぐことが、たった一つの宿命からのように、どうして、真っ赤な血を吐くように、「真っ赤なバラ」を歌わねばならなかったのか。

 

しかし、せめて、長澤延子が青春期という熱病が冷めるまで生きられたら、と悔やむことはしまい。

 

なぜなら、長澤延子が自殺したのは1949年だが、それ以降、長生きしたとしても、長澤延子が60年代の高度経済成長期における安保闘争、70年代の白けた堕落と退廃の時代に、希望を見出せる気がしないからである。

 

長澤延子が生きた時代は、あまりにも悲惨だった

 

長澤延子が生まれた1930年(昭和7年)に起きた事件を、以下、列挙してみよう。

 

第一次上海事変勃発
(海軍陸戦隊と中国の第十九路軍が衝突。満州国独立のための陽動作戦。
爆弾を抱えて鉄条網突破を図り爆死した3人が英雄に→「肉弾三勇士」)
満州国建国
(人口3400万人。清朝最後の皇帝「溥儀(ふぎ)」を執政に迎える)
五・一五事件
(海軍将校と陸軍士官候補生の一団が犬養首相を襲ったテロ事件)
桜田門事件
(朝鮮独立運動高揚を狙った天皇暗殺計画。犯人は逮捕され死刑に)
白木屋百貨店火災
(前年新築の高層百貨店で火災。13人が墜落死。消火体制が問われる)
坂田山心中事件
(慶応大生と資産家の娘が心中。「天国に結ぶ恋」映画・主題歌がヒット)
大東京市誕生
(隣接5郡82町村合併。15区から35区。日本人12人に1人が東京市民)

 

おわかりだろうか? 要するに、戦争に向かって突き進もうとしている時代に、長澤延子は生まれ落ちたのだ。

 

わずか17年と3ヶ月の短い生涯だが、長澤延子は、戦前・戦中・戦後を生きたのである。

 

自死したのは1949年(昭和24年)。戦後4年目である。戦争は終わったが、世の中のあまりの激変、矛盾・無節操・恥辱・幻滅・混沌の時代は、詩人の無垢な魂には過酷過ぎたのではないか。

 

長澤延子の詩から感じ取るべきものは?

 

詩としての文学的な価値は望むべくもない。

 

鼻持ちならない、若さという不遜の霧を払って、こちらに迫ってくるのは、生きようという「ひたむきさ」だ。

 

ひたむきだから、死を引き寄せてしまう。死が目の前にあるから、生命は本人が肯定していなくても、いや、激しく否定していても、光を放つ。

 

私にはその光が確かに見える、蒼白い炎に似た命の揺らめきが。

 

鮮やかな光芒を描いて、素早く消え去った、穢れなき魂の残影が、今という時代を生きる私たちを突き動かさないはずはない。

 

長澤延子の詩「折り鶴」はこちらに

 

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