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小林正樹と黒澤明の時代劇を比較してみた感想。

ずいぶん長いこと、黒澤明の映画は愛好してきました。もちろん、全作品を見ています。

自分の中で黒澤明への評価は揺るがないと信じてきたのですが、最近になって、「これは考え直さないといけないのではないか」と思うようになったきました。

それは、映画監督・小林正樹(こばやしまさき)の存在です。

小林正樹の作品はまだ全部は見ておりません。ただ、強く感じるのは、小林正樹の白黒映画の異様なまでの「完成度」の高さです。

本当に「異様なまでに」小林正樹のモノクロ映画は際立った「完成度」を示しています。

小林正樹の白黒映画は、黒澤明のそれを凌ぐほどの「完成度」で私を圧倒してやまないのです。

この「完成度」をもっと詳しく具体的に説明したいのですが、それがなかなかできません。

そこで、黒澤明と小林正樹の時代劇を3作ずつあげて、それらを比較してみることにしました。

今回、比較するための対象として選んだ作品は以下のとおり。

小林正樹:「切腹」「上意討ち-拝領妻始末」「いのちぼうにふろう

黒澤明:「羅生門」「七人の侍」「椿三十郎

二人の作品を比較してみてよくわかったのは、黒澤明の映画には希望があり、小林正樹の映画には希望がないということ。

黒澤明は「陽」の作家であり、小林正樹は「陰」の作家です。

黒澤明もドストエフスキーに傾倒しただけあって、人間の掘り下げは深いのですが、根底には「人生肯定」の思想が流れており、絶望を描いてもその先に光を与えようとします。

一方、小林正樹の映画には救いがありません。「滅びの美学」という軸が小林映画には屹立しており、中途半端な人間愛を拒絶している強さ純粋さがあるのです。

どちらの作品が優れているか、優劣をつけることには意味はないでしょう。

ただ、ひとつだけつぶやいておきたいことがあります。

白黒映画をこよなく愛してきた私ですが、日本映画のモノクロ映画は、小林正樹の「いのち・ぼうにふろう」で頂点を極めたのではないか。

光と影、その影の描き方は「いのちぼうにふろう」が特に素晴らしい。※映画の中では「いのち・ぼうにふろう」と表記されていました。

影は濃く、かぎりなくブラックに近い。その黒(闇)の深さは白(光)を際立たせているだけでなく、黒(闇)そのものが美しさを獲得しているように見えました。

これほど黒(闇)を美しく描出した映画を「いのちぼうにふろう」以外に見たことがありません。

黒澤明にはエンターテイメント性があり、明るさもあり、いわゆる「元気をもらえる映画」なのです。

そのため、黒澤映画が小林映画よりも人気が高いのは当然でしょう。

しかし、小林正樹の映画は、今後はもっともっと評価され、多くの人たちに愛好されてほしいと私は願っています。

「切腹」「上意討ち-拝領妻始末」「いのちぼうにふろう」のラストは、あまりにも似すぎていて、思想と表現手法が完全合一しているために、比類ない完成度にまで作品を高めているのです。

この場合の「思想」とは「価値観」あるいは「美意識」と置き換えてもかまいません。

小林映画には、日本人が忘れかけている「滅びの美学を具現化した世界」が完璧に描き出されているのですが、それは戦後70年以上もの長い間、日本人の一般的価値観とは正反対の世界だということも確かでしょう。

ただ、最後に強調しておきたいことがあります。

小林正樹の描いた「滅びの美学」について。

小林正樹の「滅びの美学」は、決して人間の生を否定しているわけではありません。逆に、生きることへの愛が極まり、たとえ滅びようとも(死を賭してでも)自分の生を全うしようとする、究極の勇気が描出されているのです。

「いのちぼうにふろう」終盤で「深川安楽亭」の主人が発する言葉、「誰だって、とことん、ぎりぎりまで生きてみなくっちゃな」というセリフが、それを象徴しています。

ですから、小林正樹の映画は黒澤明とは全く違う視点から、人生(生きること)を肯定していると言えるのです。

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