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北川冬彦の「雑草」という詩を読んだ感想。

ふとした瞬間に読みたくなる詩というものがありますよね。北川冬彦(きたがわふゆひこ)の「雑草」は私にとって、そういう詩の一つです。

おそらくは、教科書に載っていたからだと思います。教科書の力というものは怖ろしいですね。学校を卒業して、長い年月が過ぎても、記憶から消えたないのですから。

で、今回は今申し上げた、北川冬彦の詩「雑草」について、感想を書いてみることにします。

では、さっそく、北川冬彦の「雑草」の全文を引用してみましょう。

雑草

雑草が
あたり構はず
延び放題に延びでゐる。
この景色は胸のすく思ひだ、
人に踏まれたりしてゐたのが
いつの間にか
人の膝を没するほどに伸びてゐる。
ところによつては
人の姿さへ見失ふほど
深いところがある。
この景色は胸のすく思ひだ、
伸び蔓(はびこ)れるときは
どしどし延び拡がるがいい。
そして見栄(ば)えはしなくても
豊かな花をどつさり咲かせることだ。

北川冬彦(1900年~ 1990年)は日本の詩人、映画評論家。梶井基次郎らの同人誌「青空」、西脇順三郎らの詩雑誌「詩と詩論」などに参加。

北川冬彦の詩「雑草」は、昭和16年2月に刊行された詩集「実験室」に収められています。

最近、技巧的な詩、概念的な詩、複雑で難解な詩をほとんど読まなくなりました。

シンプルで、わかりやすい詩しか読みたくありません。

何度もこのブログで書いていますが、日本の現代時、1945年の終戦以降の詩は、難解になりすぎて衰微して行ったと私は思っています。

一時期、私も現代詩、いわゆる新し詩をたくさん読みました。しかし、その度に、ことごとく裏切られてきたのです。

簡明な詩より、複雑な詩の方が優れているわけでは決してありません。

偉大な作品は例外なくシンプルなのです。

本当に書きたい激烈なテーマがないから、無暗にわかりにくい表現をしてきた現代詩人がいかに多かったことか……。

詩が湧いてくる泉が弱っていては、詩がやせてしまうのは当然でしょう。

で、今回の北川冬彦の「雑草」ですが、概念的なところが全くない詩です。

強烈で純粋で単純なパッションが、内側から突き上げてきて溢れたという、理想的な創作動機に恵まれた詩だと言えるでしょう。

2度出てくる、以下のリフレインが実に効いていますね。

この景色は胸のすく思ひだ

胸のすく思ひ」という言葉を、日常ではほとんど使っていないことに気づきました。

また、日本の近代詩・現代詩においても「胸のすく思ひ」という表現はおそらくは他では見つけられないだろうと思ったのです。

作者である北川冬彦もまた自分の人生で「胸のすく思ひ」をしたことは極めて稀だったので、あえてそれを詩として書きあげたのではないでしょうか。

実用日本語表現辞典によれば「胸のすく思い」のことを「心のつっかえが取れたような、すっとした心持ち」と説明しています。

北川冬彦はなぜ雑草を見て「胸のすく思ひ」をしたのか?

「雑草」の溢れんばかりの生命力、純朴すぎて、理屈や論理や道徳などを突きぬけてしまう「生きる力」に共鳴し、北川自身が命を鼓舞されているのです。

創作動機も、詩自体も、極めて単純。呆気にとられるほど、シンプルです。

単純を怖れてはいけないでしょう。単純でも、深ければ、強ければ、澄んでいれば、詩は人を感動させられます。

いえ、単純だからこそ、読む人の警戒心を解き、無防備にさせ、心の服をはぎ取り、魂をわしづかみにし、感動の世界に拉致し去ることができるのです。

単純な命の輝きが感じられる詩という意味では、以下の詩も捨てがたい魅力に富んでいます。

壺井繁治の詩「挨拶」を読んだ感想。

中野重治の詩「機関車」と「歌」を再読した感想

ところで、北川冬彦は詩人としては珍しく、89歳まで生きたということを初めて知りました。明治から平成までを活きた稀有な詩人です。

北川冬彦の根底に、詩「雑草」に見える無垢な人生肯定があったから、長生きできたのかもしれませんね。

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