「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」というフレーズに聞き覚えのある人は多いのではないでしょうか。
映画「人間の証明」(1977年)のキャッチフレーズになったことで有名です。
この映画の原作である森村誠一の小説「人間の証明」も、読みましたが、映画も小説も決して傑作ではなく、後世に語り継がれるほどの作品かというと、首をかしげざるを得ません。
戦後日本で最も売れた小説は、出版社の出している数字はほとんどあてになりませんが、映画化されたエンタメ小説では、森村誠一の「人間の証明」か、鈴木光司の「リング」だとも言われているとか。
たいへん話題になった、売れに売れた、そういうことが話のネタになるだけのこと。
と言いつつも、私はこういう映画は嫌いではありません。B級エンタメくささが、いい味になってたりしますから。
映画の作品としての評価はともかく、結果として、キャッチフレーズに使われた「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という詩だけが、流行が去った後にも残った。
テレビCMでもさかんに流された「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね? 」は、西條八十(さいじょう やそ)の「ぼくの帽子」という詩の一部なのですが、その詩の質の高さ(本質的な魅力)ゆえに、多くの人たちに今もなお愛され続けているかに見えます。
それでは、西條八十の「ぼくの帽子」(のちに「帽子」と改題)の全文を引用してみましょう。
ぼくの帽子
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
この詩を読んで、幼い日に、二つ上の兄と二人で見た、澄み切った秋の青空を思い出しました。
遠いとおい記憶ですが、その時の心持ちもそのままに、鮮やかによみがえったのです。
ただただ、青かった。空には、何もなく、青い空が、空の青さだけが、果てしもなく続いていて、その空の青の奥にも、青さの奥の奥までも、青さしかなかった。
何だか、そういうことを、一心に思い出していると、切ないような、はかないような、哀しいような、不思議な気分になってくるのですね。
自分は、あの幼い日に見た、瑠璃色の空、その奥の奥に、とんでもない忘れ物をしてきたのではないか。
その忘れ物を、取り戻すすべはない、それだけでなく、あの青空の奥の奥に、大切なものを置き忘れてきたことさえ、これまで思いつきもしなかった。
それは、何と哀しいことだろう。
あの時、無心で空を見つめている少年は、もう死んでしまったのだろうか。本当はもう死んでしまっているのに、まだ自分の中のどこかしらに生きていると、必死で信じようとしているのではないか。
そんなことを、西條八十の「ぼくの帽子」を読んで思ったのでした。
「帽子」は、瑠璃色の空でも、白いパラソルでも、赤い風車でも、何でも良いのですね。だから、すべての人にとって、この「帽子」は心当たりがあるとも言えるでしょう。
西条八十が歌った「帽子」は、今の私にとって、いったい何なのか。
失ってしまい、取り戻すことは不可能だけれども、依然として自分の中、その奥の奥で、光を放ち続けているものは、何なのだろうか。
問いかけるべき母親は、すでに、この世にはいないけれども。
ただ、救いなのは、その何かが、今はそれほど遠く感じないこと。自分の心持ち次第では、身近にたぐり寄せられそうな気がしているのです。
ういj
青い空の青が詩の中の、紺の脚絆と手甲の紺に重なります。
忘れ物がいつか見つかりますように。
傑作ではない←わろたwww
何様だよwww
いや、私も今WOWOWで観てるけど、ブロ主さんの言われる通り傑作でも何でもない。
なんでこんな有名な役者ばかり出ていて、こんなにリアリズムがないのか。
脚本や演出がひどすぎる。それとも、原作がどうしようもないのか。
ファッションショーの無駄に冗長なことw
またチンピラ黒人が変死したぐらいでこんな大人数な捜査本部体制が敷かれるわけないだろ。
「砂の器」を意識して作ったんだろうが、壮大な駄作だ。
角川の息子の失敗作。
あなたは、バカですね。悲しい人です。素直に、映画を楽しめばいいのに。砂の器を意識した?ふざけるな!時代背景が違うんだよ。何を偉そうに!匿名なんてよせよ!
映画より原作を読むと、彷彿として情景が浮かぶ。
映画も見ましたが、原作の方がしっくり来ます。
最初に原作を読みました。機会があって映画も見ました。人間の証明って、最後に息子を刺してしまった八杉恭子の自白とか、日本人を殴り殺してしまった元米兵のケンが息絶える前に謝罪するところが人間であることの証明になっているんだと思いました。映画では恭子は崖から飛び降り?だし、ケンも何も謝罪無しだから、題名の由来がわからないです。この頃の角川映画って原作無視が多いですね。戦国自衛隊(初代の)もそうでしたから。
リアリティというかディテールに拘るオタク気質のクリエイターが台頭するのは
次の時代ですんでね
時代の空気を感じ取る余裕が欲しいもんですなぁ
この詩は宮沢賢治の「永訣の朝」と同様に「魂の漂白をしているだけの詩だから」との印象が深く、実に個人的な過ぎ去った未来との対話のようにも感じる。それは、誰もが持ち得る感情に共通する物だからではないだろうか。そして、そのような詩ほど心に残る。ときに、映画に話を転じれば、私は角川映画全盛のど真ん中で少年期を過ごした世代でもあり血肉にもなっている事を自覚もしているが、映画「人間の証明」は私の心の中にある「帽子」そのものかもしれない。思い起こし、時に立ち止まり何度も見返したものだ。小学生の私は何も知らず当時のコマーシャリズムに従うまま、今風に言えば「鬼滅」を見に行く大衆そのものだったわけだが、まもなく次作の「野生の証明」に興味はすぐに傾倒していった。しかし時が過ぎなぜか見返す頻度が多くなってゆく。私の少年時代は、「もはや戦後ではない」との合唱があった事に象徴されるように、逆説的ではあるが戦中戦後の物語がメディアにはまだ随所に見られ、都会には生活苦の元傷病兵が街で物乞いをする姿さえあった。祖父母、父母から聞かされる戦時中の話は、おそらく東日本大震災の体験を孫に話すそれに近いのではなかったか。つまり、戦後は間違いなく続いていた。それは間接的にせよ、令和の現代に聞かされる戦争話よりはるかにリアリティのある物だった。確かに映画「人間の証明」は現代の若者には昭和の残像のようにしか映らないのかもしれないし、「砂の器」の焼き直し云々という印象しかないのかもしれない。しかしその時代に生きた俳優や映画人の作品との対峙は私のリアリティを遥かに超える体験を通して生み出されているし、もはや現代の俳優たちに望むべくもない。映画とは他の作品がそうであるように意図するしないにかかわらず、やはり時代を切り取ってしまうものだ。その意味において私はこの作品が70年代という時代の分岐点に発表された事を含め秀作であると言わざるを得ない。「世代」と言う言葉を前提にと、あえて前置きはしなければいけないが。「帽子」同様に「その忘れ物を、取り戻すすべはない、それだけでなく、あの青空の奥の奥に、大切なものを置き忘れてきたことさえ、これまで思いつきもしなかった。」と映画を観る度、私もそれを感じる。やがて「埋めるように、静かに、寂しく」時代は過ぎてゆくものであろうし、抗うべくもない悲哀もまた共通のものであろうと思うからである。
文豪の評論を聞いているようで深く心に響く。私も角川映画世代なので一概に古いとか雑な映画で切り捨て得ぬものがある。有難い評論を読ませてもらった。
1977年当時、東京へ行って‥高校時代の友人(女性)に原宿へ連れていってもらい、ピザを食べた記憶と‥そのとき、街角で、パンフレットとか風船?をいただいた記憶があります。
あと、ハーフのジョー・山中さんの歌です。
歌:ジョー山中
作詞:西條八十
作曲:大野雄二
Mama Do you remember the old straw hat you gave to me
I lost the hat long ago flew to the foggy canyon yeh
Mama I wonder what happened to that old straw hat
Falling down the mountain side Out of my reach like your heart
Suddenly the wind came up
stealing my hat from me yeh
Swirling whirling gusts of wind
blowing it higher away
Mama that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it no one could bring it back
Like the life you gave me
Suddenly the wind came up
stealing my hat from me yeh
Swirling whirling gusts of wind
blowing it higher away
Mama that old straw hat was the only one I really loved
But we lost it no one could bring it back
Like the life you gave me
Like the life you gave me
日本語の分とは、少し違うようですが‥?https://j-lyric.net/によりました。
西条という地名は、広島の駅名と、愛媛県の西条市があるようです。
どちらかのご出身かもしれません(八十さんのご先祖)。
幼少の頃の あの なつかしい きもち ~
映画でも小説でもあらわれていない。
モネ 『 散歩、日傘の女 』の 野中の 母さん と 僕 。
あの頃は 世界がもっともっと 大きかった (今は 自分が 世界を矮小にしたが ~)
モネの 『 散歩 日傘の女 』の 母さん と 僕
もっともっと 世界が大きく 素晴らしい空だった あの頃
今は 自ら 矮小にした 世界と空
(映画 小説では あらわれていない)
今は亡き母に問いかけ返って来ない返事はきっと答えは解っているんでしょうか?自分の中にある麦わら帽子は何だろう?
中島 剛 様
私も同じ意見ですが。
当時24.25歳で、初めて彼女が出来た時、テレビでカドカワ映画のコマーシャルが盛んに流れていて、私もその影響でデートは映画でした。
人間の証明、野性の証明、蘇える金狼、戦国自衛隊、復活の日、野獣死すべし、セーラー服と機関銃、
蒲田行進曲、探偵物語、Wの悲劇、
等
懐かしいですよね。
ふと思い出す事が有るのはなぜなんでしょう。昔、国語の先生が全部暗記させたんです。母さん僕の帽子…
西城八十の「帽子」を知ったきっかけは映画「人間の証明」だった。何となく切ないジョー山中の歌と松田優作氏が「母さん。あの帽子どうしたでしょうね」から始まるセリフに当時は随分惹かれたもんだった。
帽子に親子の見えない絆が何十年経って離れ離れになった親子を結び付けるきっかけとなってドラマが展開するんだが、ニューヨークロケもあり当時としては壮大な映画だったと感じた。
戦後直後の荒廃した日本の中で一生懸命生きる日本人の強さや事件を追い続ける棟居刑事の姿に共感したし、昭和の懐かしい匂いがする映画だ
映画(1977年)はともかく、ジョー山中の主題歌はとても良かった。でも、今思うとクイーンのボヘミアンラプソディー(1975年)のパクリかオマージュなんだよね。にしても西条八十の詩は美しいし、クイーンのあの名曲がそんなに古かったなんて。
詩に続く論評の文章が、詩と同じくらい美しい。こんなの見たことない。
ありがとうございます。励みになります♪
私も角川映画はダメでした。。。
2時間サスペンスドラマと ほとんど変わらないレベル。
そう言えば 角川映画って 小説を売るための道具って 当時 よく言われていたな、、、と思い出します。
前のコメントの方と同じで 後半の詩の論説は読み応えがあって 惹かれます。
ここに来たかいが ありました。。。。
一番有名な冒頭、「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」は、「どうしたでせうね?」とどっちが正なのか…
ネットでは両方存在して、「どうしたでせうね」は旅館のパンフレットがそうなってるとか…