美しい詩

高村光太郎の「あどけない話」が智恵子抄の中で異彩を放つ理由。

少し前、二十代の人たちと話す機会があったのですが、高村光太郎という名前すら知らない人が多かったことに驚きました。

名前は聞いたことがあるけれども、どういう人なのかは知らない人がほとんとで、高村光太郎のをこよなく愛しているなどという人は一人もいなかったのです。

哀しいことですね。たぶん、生まれてから、周囲に詩を愛好している人がいなかったからでしょう。

私としては、高村光太郎の「智恵子抄」という詩集に収められている「あどけない話」は、忘れ去られていいはずはなく、日本人の共有財産として永久に語り続てゆくべきだと思っているのです。

では、さっそく、高村光太郎の詩「あどけない話」を引用してみましょう。

あどけない話

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

高村光太郎の数多い詩の中で、もっともシンプルな詩が、この「あどけない話」です。

シンプルという意味は、ただ短いというだけでなく、きわめてわかりやすく、素直な心情を素直に語っていることにあります。

だからといって、浅いわけでもなく、弱いわけでもありません。

簡明ですが、生きることの根源に通じる深さを有した詩です。

高村光太郎と智恵子との関係を知った上で、こういう詩は、深読みすることなく、流れにまかせて、素直に読み取ることがベストでしょう。

そうしないと、この詩の深さ、特異性が感じ取れません。

高村光太郎と智恵子は夫婦でした。しかし、智恵子は後に精神に異常をきたし、入院生活を余儀なくされたのです。

高村光太郎は智恵子を愛し続け、智恵子に関わる詩を多数創作し、「智恵子抄」という詩集にまとめたのでした。「智恵子抄」は、1941年に龍星閣から出版されました。

で、「あどけない話」ですが、簡単に流れをおって内容を確認してみることにします。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。

この書き出しで、謎を提示します。

「東京に空が無い」という、意表を突く、意味深な言い回しで、引きつかられますね。「なんのこっちゃ?」となるわけです。

その後の一行が実に効いています。

私は驚いて空を見る。

たぶん、この一行がなかったら、駄作となっていたかもしれないと思うほど、この一行が「あどけない話」を生き生きと展開させ始めるのです。

実際に、高村光太郎が智恵子に「東京には本当の空が無い」と言われた時に空を見たのかはわかりません。

ただ、この詩において、「驚いて空を見る」と書いたことで、一気に読者を詩の世界に引きずり込んでしまいます。

なぜなら、ふだん当たり前だと思っていたことに新鮮な意味を発見することは正に「詩」であるから。

また、おそらくは智恵子が類まれな天分を持ち、しかも精神の病におかされたことで、光太郎に自分だけでは気づけない「尊いこと」を伝え続けたであろうことは容易に想像できます。

その「尊いこと」が「本当の空」なわけです。

智恵子に言われて、ハッとして空を見上げる光太郎。光太郎は、智恵子の言葉の意味を探ろうと自問自答し、ラストの5行で、智恵子の言葉の謎を解きます。

智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山あたたらやまの山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

阿多多羅山は智恵子の郷里である福島にある山です。

ふるさとで見た空が本当の空で、東京の空は本当の空ではない、という単純なことを智恵子は言いたかっただけなのでしょうか。

「なんだ、そんなことか」とも、とれないわけではありません。

しかし、空のことを「空が無い」と嘆いてみたり、「ほんとの空がみたい」と願ったりする心の動きは、尋常ではありませんよね。

普通に人にとっては、「空」はふつうにあるものであって、日によって変化はするだろうけれど、大した問題ではないわけです。

ところが、智恵子は「ほんとの空」に恋焦がれ、それがなくては生きている気がしない、というくらいに大事だと感じている。

「空」ほど物資文明、経済社会からほど遠いものはなく、そうした物や金と関係のないものに、全身全霊で恋焦がれることの健気さ、哀しさを光太郎は痛いほど感じています。

智恵子の純粋さは、光太郎にとって精神の支えであると同時に、哀しみの根源でもありました。

純粋であることは壊れることだ、という悲劇を、光太郎は智恵子を通じて体験してしまったのです。

高村光太郎自身が生きるということの根っ子に智恵子は存在し、死ぬまで深刻にかかわりつづけたのですが、その重い時間の中で、ふっとこぼれた話が「空」のことでありました。

深い哀しみと祈りの気持ちを、深刻な言葉ではなく、「あどけない話」として語ったことが、この詩に永遠の輝きを与えているのではないでしょうか。

「あどけない話」にこそ、人生の深い真実が秘められているのかもしれないから。

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