立原道造の詩「眠りの誘い」というをご紹介します。

 

眠りの誘(いざな)ひ

 

おやすみ やさしい顔した娘たち

おやすみ やはらかな黒い髪を編んで

おまへらの枕もとに胡桃色(くるみいろ)にともされた燭台のまはりには

快活な何かが宿つてゐる(世界中はさらさらと粉の雪)

 

私はいつまでもうたつてゐてあげよう

私はくらい窓の外に さうして窓のうちに

それから 眠りのうちに おまへらの夢のおくに

それから くりかへしくりかへして うたつてゐてあげよう

 

ともし火のやうに

風のやうに 星のやうに

私の声はひとふしにあちらこちらと……

 

するとおまへらは 林檎の白い花が咲き

ちひさい緑の実を結び それが快い速さで赤く熟れるのを

短い間に 眠りながら 見たりするであらう

 

立原道造の詩は、意味を詮索しない方が良い

 

立原道造の詩は、一つひとつの言葉の意味を理解しようとすると、わからなくなってしまいかねない。

 

言葉のリズム、音韻、言葉と言葉が組み合わさって浮かぶイメージに、身を任せる気持ちで読むと、立原道造の詩は、優しく私たちを向かい入れてくれる。

 

立原はどういうことを言いたいのか、ではなく、私たちが読んで感じることが立原の伝いたいことなのだ。

 

立原道造が住んでいたのは、現実の世界ではなく「天国」

 

立原道造は二十代の半ばで夭折したことは広く知られている。その若い青年が「娘」と書くことは何を意味するか?

 

特定の個人を指すのならば「娘」とは書きはしない。立原道造は突き放した視点から、若い女の子を見ている。

 

いや、人生そのものを「遠い風景」のように見ているとも言えるだろう。

 

なぜ、人生が風景に見えるのか、それは「生」を「死」から眺めているから。

 

立原道造にとって「死」は暗く冷たい場所ではなく、甘い香りがする明るい世界、いわば「天国」のようなところなのだ。

 

立原道造の詩の稀有な美しさは、描かれた甘美な世界が「天国」に似た澄明な光に満ちているところから来ている。

 

まだ「天国」に行ったことがないのでよくわからないが、おそらくは「天国」は立原道造の詩のような国なのだろう。

 

「天国」という「神に近い国」から、立原道造はこの世を眺めていた。だからこそ、この世のものとは思えない、人間の生臭さの消えた詩空間を現出できた。そう考えるしか、立原道造の美学の本質を明かすことはできない。