今回は敬語の「させていただく」「させていただきます」の誤用問題について考えてみましょう。

 

インターネットで「させていただく」「させていただきます」を検索しますと「させていただく症候群」とか「させていただきます 誤用 乱用」といったキーワードが入った記事タイトルが多数見つかりました。「させていただく」「させていただきます」問題には、侮り難い深い病理がひそんでいるのかもしれません。

 

大辞泉は「させていただく」を以下のように説明しています。

 

させていただ・く

 

相手に許しを請うことによって、ある動作を遠慮しながら行う意を表す。「私が司会を―・きます」

 

また新語探検は、次のように解説。

 

させていただく

 

最近の若者に目立つことばづかい。もともとは、自分の行為を相手に許可してもらい、それによって相手に対してへりくだった気持ちを表すことばだが、最近では「私は○○高校を卒業させていただきました」とか「先生のご著書を読ませていただきました」といった言い方が増えている。

 

高校を卒業したのは自分の実力であって、教師の恩恵によって卒業できたのではない。作家の著書を購入して読むのも自分の意思であって、作家から贈呈されて読んだのでなければ、本来の用法からすると誤りである。

 

実際には受けていない許可や恩恵を受けているかのように見立てて、相手を敬っていることを示す丁寧表現のつもりで使っているようだ。

 

「させていただく」「させていただきます」は、相手から「許可」や「恩恵」を受ける場合に使う表現であって、それ以外では「いたします」、あるいは他の言葉を使うべきです……というのが、一般的な解説でしょう。

 

例をあげてみます。

 

×ご連絡させていただきます。

○ご連絡いたします。

 

×ご紹介させていただきます。

○ご紹介いたします。

 

×私の意見を述べさせていただきます。

○私の意見を申し上げます。

 

もちろん「させていただく」「させていただきます」を使うべきではないということではありません。

 

以下のような場合には「させていただく」を使っても問題ありません。

 

 

○今回は辞退させたいただきたいのですが。

 

 

上の場合には「辞退したい。許可してもらえるとありがたい」という気持ちが込められています。

 

 

○先日ご一緒させていただきました風花未来と申します。

 

 

上の場合には「あなたが許してくれたので、ともに行動できたことに感謝しています」という気持ちが込められています。

 

その一方で、明らかに「失礼」な感じがしてしまう「させていただきます」の使い方があるのです。

 

それらの誤用を「慇懃無礼」「紋切り型」「謙遜的傲慢」として戒める人もいます。

 

 

×去年は株で1億円稼がせていただきました。

 

 

例えば「1億円稼がせていただきました」と聞いて、良い気分になる人はいませんよね。「稼ぎました」と言えば、ただそうかと思われるだけで失礼にはなりません。

 

 

×去年はそれほど稼げなかったので、1億円納税させていただきました

 

 

また「納税させていただきました」も、かなりたちの悪い誤用と言えます。敬語は相手との関係を良好に保つために使われるべきなのに、これでは、相手の気持ちを逆なでしているようなものです。軽蔑されるために敬語はあるのではありません。

 

ところで、今回のテーマは「させていただきます」の誤用を防止する方法についてです。

 

「させていただきます」の使い方を、いくら文法的に解説しても、誤用を防止することはできないでしょう。

 

「させていただく」「させていただきます」を使う時に、それが適切になるか不適切になるかは、(相手に対し)本当に感謝の気持ちを抱いて、その言葉を使っているかという一点で決まるのです。

 

「させていただく」の使い方でつまずく場合は、必ずといっていいほど、相手の存在を無視して、自分勝手にへりくだってみせている時。

 

「1億円稼がせていただきました」では、ただ自慢しているだけです。「1億円寄付させていただきました」には傲慢さがにじみ出ていて気持ちが悪い。寄付などは、あからさまに公言すべき行為ではないでしょう。

 

その逆に、正直な心情の吐露として、こう発言したとしたら。

 

 

自分独りではとてもここまでは来られませんでした。最近、自分は生きているというよりも、生きさせていただいているという気持ちが強くなっています。

 

 

こういう言い方なら、問題ないでしょう。自分を支えてくれた周囲の人たちへの感謝の気持ち、謙虚な姿勢を表わそうとしているからです。

 

「生きさせていただいてる」という表現には違和感を覚えるというご意見をいただきましたので、こちらで回答いたしました。

 

敬語は人間関係を示すとともに、健全な人間関係を保つために使われる言葉だともいえます。相手を敬う気持ちが確かにあり、ありがたいという感謝の気持ちを持って発するならば、もう文法的な誤用問題など、必要ないと思われてなりません。

 

ビジネスや政治の場で使われる敬語に誤用が多いのは、相手に対する敬意がそもそもない(薄い)からです。

 

敬語の使い方がなっていない若者たちを叱るよりも、人と人との良好な関係性を見出しにくい社会の方を改善すべきだと思うのですが、いかがでしょうか。

 

最後に一言。

 

誤用の例をあげて「あなたも間違えていませんか?」というような書き方はあまりしたくありません。

 

言葉による表現は本来、自由であるべきで、「正しい」とか「間違い」だとか、言い切れるものではないからです。

 

当ブログ「美しい言葉」でも「間違えやすい日本語(言葉)」というカテゴリを設けていますが、うかつに「これは誤用ですよ」とは言えないなと感じることが多いのです。

 

ですから、このブログでは、日本語の使い方について、決めつけることは、できるだけ避けたいと思っています。

 

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