今回は田村隆一の「木」をご紹介。
木
木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか
見る人が見たら
木は囁いているのだ ゆったりと静かな声で
木は歩いているのだ 空に向かって
木は稲妻のごとく走っているのだ 地の下へ
木はたしかにわめかないが
木は
愛そのものだ それでなかったら小鳥が飛んできて
枝にとまるはずがない
正義そのものだ それでなかったら地下水を根から吸いあげて
空にかえすはずがない
若木
老樹
ひとつとして同じ木がない
ひとつとして同じ星の光のなかで
目ざめている木はない
木
ぼくはきみのことが大好きだ
田村 隆一(たむら りゅういち)。1923年(大正12年)3月18日 に生まれ、1998年(平成10年)8月26日)に死去。日本の詩人、随筆家、翻訳家。詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えたと伝えられている。
田村隆一という名前は知っているが、詩集は読んだことがない。ウィキペディアで調べたら、ものすごい数の詩集を出版されているので、驚いた。
私がこのブログ「美しい言葉」で紹介している詩人の多くは、生前に詩集を出版できていないか、せいぜい一冊か二冊を刊行しているに過ぎない。
しかし、田村隆一は75歳で没するまで、膨大な量の詩集や著書を出版している。
一言でいうと、戦前と戦後は時代が違うのである。戦後は出版業界がマスコミの発達とともに隆盛し、文章を書いて生活できる人の数が増えたのである。
私が戦後の詩、いわゆる現代詩に興味が湧かなかったのは、詩人とは短い生涯において、ぎりぎりまで自分の命の火を燃やし尽くした人のことを指すと自分の中で決めていたからだ。
今となっては、それは余りにも狭い決めつけだと反省しているが、今後、戦後の詩、現代詩を読むきはさらさらない。
ただ、今回ご紹介した田村隆一の「木」という詩は、難解な言葉を使っていないという点では評価できる。
だが、自分の命を燃やしている、その証明の詩ではないことは明らかだ。
むしろ、言葉遊びに近いだろう。
その「遊び」が、人間の愚かさ、樹木の偉大さを、嫌味なく、素直に浮かび上がらせている。
到底、日本の名作詩100選に入れる木はないが、戦後の詩を代表する詩人だと伝えられる人が、こういう簡明な詩も書いている、ということを知ることは無益ではないであろう。