今回は、サミュエル・ウルマンの詩「青春」を取り上げたい。
翻訳は、2つのバージョンを、ご紹介。
青春の詩
岡田義夫訳
青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、
逞しき意志、
燃ゆる情熱、
怯懦(きょうだ)を退ける勇猛心、
安易を振り捨てる冒険心、
こういう様相を青春と言うのだ。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、
情熱を失う時に精神はしぼむ。
苦悶や、狐疑(こぎ)や、不安、恐怖、失望、
こういうものこそあたかも長年月のごとく人を老いさせ、
精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてしまう。
年は七十であろうと、十六であろうと、
その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、
驚異への愛慕心、
空にきらめく星辰(せいしん)、
その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、
事に処する剛毅(ごうき)な挑戦、
小児の如く求めて止まぬ探求心、
人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く
疑惑と共に老ゆる。
人は自信と共に若く
恐怖と共に老ゆる。
希望ある限り若く
失望と共に老い朽ちる。
大地より、
神より、
人より、
美と喜悦、
勇気と壮大、
そして偉力と霊感を受ける限り、
人の若さは失われない。
これらの霊感が絶え、
悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、
皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至れば
この時にこそ人は全くに老いて
神の憐れみを乞う他はなくなる。
※「怯懦(きょうだ)」は、おくびょうで気の弱いこと。
※「星辰」は、星のことですが、しばしば「永遠」「運命」「神秘」といった抽象的な概念の象徴として使われます。 その輝きは変わらない真理や、人の心の中の願望や希望を表現するための比喩として効果的です。
※「欽仰(きんぎょう)」とは、相手をうやまい、慕うことです。相手の価値や徳を高く評価し、尊敬と慕う気持ちを込めて、敬意を払うことを意味します。
※「剛毅(ごうき)」は、意志が強固で不屈なこと。
青春
宇野収・作山宗久訳
青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなくたくましい意思、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の新鮮さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき はじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい、精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうと16歳であろうと、人の胸には驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ悲嘆の氷にとざされるとき20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり80歳であろうと人は青春の中にいる。
「青春の詩」には、“青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方である…”という有名な一節がある。1945年に「リーダーズダイジェスト米国版」が、“HOW TO STAY YOUNG”のタイトルで掲載後、日本ではGHQのマッカーサー司令官の執務室に飾られた。
1958年、森平三郎氏が群馬県桐生市の東毛毎夕新聞に、格調高い日本語の詩として岡田義夫氏訳の「青春」を紹介したことにより広がりはじめた。
その後、1982年に宇野収氏が日本経済新聞に「青春」の一部を紹介。徐々に多くの人の間で反響を呼び、共感と感動を与えながら、今日に至る。


