今回は、まど・みちおの詩「どうしてもいつも」をご紹介しましょう。引用元は「まど・みちお詩集(ハルキ文庫)」
【動画】朗読)まど・みちお「どうしてもいつも」~山田太一「丘の上の向日葵」より
どうしていつも
太陽
月
星
そして
雨
風
虹
やまびこ
ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう
まど・みちお。日本の詩人。本名は石田 道雄(いしだ みちお)、1909年〈明治42年〉11月16日生まれ。 2014年〈平成26年〉2月28日に死去。享年104歳でした。
「どうしていつも」について。
こういう詩を読むと、現代社会というものは、とんでもないところまで来てしまっているなぁ~と感じてしまいますね。
多くの人は常に新しい情報を求めて、スマホに食い入っていますが、それは何と空しいことか。
便利さや快適さは手に入れたけれども、失い過ぎたものが大きすぎる。
例えば、私が子供のころは、一番星を見つけると思わず「あ、一番星だ!」と声を上げたものでした。また、そういうことは珍しいことでもなかった。
しかし、もう何十年も、一番星を見ていない自分がここにいるのです。
一番星を見つけても、お金はもらえません。何か、目に見える形で利益がもたらされるわけでもない。
ただ、一番星の輝きに気づけるということは、心にゆとりがあることであり、時間が今よりも、ずっとゆるやかに流れているということであり、そういう暮らしにこそ「人らしさ」「自分らしさ」が息づけるのではないかと思うのですね。
もしも、まど・みちおの詩を読まなかったら、そういうことに気づけなったかもしれない。
だとすると、やはり、詩を読むということは、決して侮れない、大事なことだという結論に達するのです。
私が「心に詩を、暮らしに和みを(旧・詩心革命)」という運動をしているのは、便利さや快適、またお金ばかりを追い求める価値観から、異なる価値観に転換すべきだと思っているからに他なりません。
あと「どうしていつも」には漢字一文字の言葉がたくさん出てきますが、それらは原初的とでも言いたくなる、シンプルな力が宿っていますね。
そのことには、こちらの記事で触れました⇒漢字一文字の美しい日本語
私たち現代人は、超便利な過剰情報社会の中で、生きていることの証しでもある「原初的な驚き、おののき」を忘れ果ててしまいそうになっています。
でも、その危険は、まずは、優れた詩と出逢うことで回避できます。
ですから、まずは、詩を読む習慣をつけましょう。一日一分あれば、詩は読めますから。
⇒私がおすすめする詩はこちらに集めてありますので、ぜひ、お読みください。
まど・みちお名作詩セレクション
温故知新。畏敬の念を、払う。
八百万の神。
犬と公園に、散歩行くとよく解ります。