今回は黒田三郎の「紙風船」という詩をご紹介。
さっそく、引用してみます。
紙風船
落ちて来たら
今度は
もっと高く
もっともっと高く
何度でも
打ち上げよう
美しい
願いごとのように
私は基本、詩は素直に読むようにしている。あるがままに、そのままに、受け入れる、それが唯一の鑑賞法だと思っている。
では、この詩「紙風船」を素直に読んでみる、というか、素直に、未来への希望を歌った、青春の詩だと解釈してみようとすると、矛盾に突き当たるのだ。
要するに、素直に読めないのが「紙風船」という詩なのである。
将来への夢や希望を歌った詩であるとするならば、どうしてこんなに寂しい感じがするのだろう。
深い挫折感、癒えない傷の痛みが伝わってきて、青春の淡い憧れを無邪気に夢想できはしない。
どうやら、この「紙風船」に漂う暗い影は、戦争のようである。
戦争という言葉を一回も使っていないが、「紙風船」と同様に、戦争の影を抜きには語れない詩に、村野史郎の「鹿」がある。
村野四郎の「鹿」が絶望の詩なら、この黒田三郎の「紙風船」は希望の詩である。
ここで私が「絶望」と「希望」を対比させたのは、長く悲惨な戦争を意識したためだ。
不思議である。あの大東亜戦争を想うと、自己に誠実であろうとすると、絶望するか、希望するか、どちらかしかないのだ。
あえて申し上げるならば、絶望と希望の違いはあるが、「鹿」も「紙風船」も、反戦歌なのである。
しかし、ここで摩訶不思議なことに気づく。
「鹿」は妙に明るく、「紙風船」は妙に暗い……。
ツイッターで友資さんが、私のこのレビューについて、以下のようにつぶやいてくれた。
個人的に「鹿」に対し感じたのは、絶望というよりも、黄金の時間を生きてきた鹿の、命ここで尽きるとしても、もはや何も恐れるものはないかのような、神々しいたたずまいでした。
友資さんの指摘は鋭く、新たなる発見へと私を導いてくれた。
村野四郎は「鹿」で絶望を表出したはずなのに、明るく強い。逆に、黒田三郎は「紙風船」で希望を夢見たはずなのに、暗くはかない。
人は時には、絶望した方が強く明るくなれ、人は時に、希望を夢見ることで、弱々しく、虚しさ、寂しさを拭い去れない、そのことに、「鹿」と「紙風船」を再読して気づかされた。
そして、私自身が、青春期に考えていた(日記に記した)ことが思い返された。
絶望なくして、真の生命の充実はない。
黒田三郎(くろだ さぶろう)は、1919年(大正8年)2月26日に生まれ、1980年(昭和55年)1月8日)に死去した、日本の詩人。
詩作品は、しばしば楽曲化されることが多く、クラシックやフォーク系の作曲家によって、曲がつけられ、CD化もされている(後藤悦治郎「紙風船」、高田渡「夕暮れ」、小室等「苦業」)。
現在、日本は20~30年以上も続くデフレによって、経済は低迷し、世の中から活気が薄れているとはよく言われることである。
では、「紙風船」に代表されるフォークソングが流行った時代は、どうだろうか?
いわゆる右肩上がりの高度経済成長期の日本なのだから、さぞかに明るく、希望あふれる歌が流行していたと想像するかもしれない。
実は、高度成長期の歌の方が、現在の歌よりも、暗いのだ。
その理由はいろいろあるだろうけれど、戦争の傷が癒えることがないままに、経済的にだけは豊かになったゆく時代に、虚しさ、後ろめたさを覚えていたのではないだろうか。
空々しい平和の中で、寂しく、やるせない日常が続くけれど、できれば、本物の夢を見たい、確かな、後ろ指をさされない、胸はれる希望をつかみたいと願った……それが「紙風船」であるような気がする。