名作映画として語り継がれている「灰とダイヤモンド」。何度となくレンタルしたが、いつも挫折してきたのだ。
しかし、今回は、最後まで見ることができた。
「灰とダイヤモンド」は、1958年のポーランド映画。イェジ・アンジェイェフスキが1948年に発表した同名小説をアンジェイ・ワイダが映画化。アンジェイェフスキはワイダとともに脚色も担当した。
この映画の中でノルヴィドという詩人の詩が紹介されている。
「舞台裏にて」という弔詩(ちょうし)からの引用のようだ。 弔詩とは死者をとむらう詩のこと。訳詩は川上洸(かわかみたけし)。
主人公のマチェクと、その恋人のクリスチーナが、雨宿りのために飛び込んだ教会の墓碑名に刻まれていた弔詩、それがノルヴィドの詩「舞台裏にて」だ。
さっそく、引用してみよう。
舞台裏にて
松明(たいまつ)のごと、なれの身より火花の飛び散るとき
なれ知らずや、わが身をこがしつつ自由の身となれるを
もてるものは失われるべきさだめにあるを
残るはただ灰と、あらしのごと深遠に落ちゆく混迷のみなるを
永遠の勝利のあかつきに、灰の底ふかく
さんぜんたる(星のごとく輝く)ダイヤモンドの残らんことを
で、肝心の映画だが、名作として大げさに語られ過ぎてきたのではないだろうか。
「灰とダイヤモンド」は、名作というよりも古典である。映画の歴史を語る上で、見ておくべき作品である、とは思った。
例えば、演出に難点がいくつもあった。暗殺シーンに、緊迫感と迫力と冴えがなかった。
ラストの場所設定は良いが、唐突感が否めず、とってつけたようになっていた。
主人公は顔の表情がいまいちで、小太りで、知的な感じがせず、テロリスト独特の孤独感も出ていなかった。
映画作品として、完成度が高いとは言い難い。
ただ、主演女優の表情の変化は良かった。主演男優と比べると、圧倒的に主演女優の方に光るものがあった。