19Jul
「しずもり」という言葉を聞いたことがある人は、おられないでしょう。「しずもり」は、風花未来の造語(オリジナルワード)であり、これまで、私は「しずもり」について、ほとんど語ったことがありませんから。
「しずもり」とは「静けさ」と「温もり」を合わせた、風花の創作言葉です。
なぜ、この「しずもり」という言葉をつくったかと申しますと、それが、自分でも判然としません(苦笑)。ただ、不思議なのは、この言葉を自分で作ったのは、かなり昔ことで、まだ20代でした。
人なつこく、社交的な一面があり、人に囲まれていると幸せを感じる私ですが、一方で、孤独癖があり、ひとりの世界に浸っていたい時もあるのです。そうした私の性格を「しずもり」という言葉はあらわしているのかもしれません。
静かで、温もりを感じる時は、一生のうちでも、そんなにたくさんあるわけではありません。
幼い頃、雨の昼下がり、ひとりで縁側にすわり、じっと雨脚を眺めていたことがありました。
あの時に、感じていた、静けさ、温もりが、まだ私の心の奥で息づいています。そのことについてはこちらで書きました⇒雨の匂い
あの時の私は、何と孤独だったのだろう。静けさの中で、かすかな温もりを覚え、何という豊かさに満たされていたことか。
ほのかだけれども、確かな充足が、そこにはありました。あの澄明な世界に、もう一度、浸り切ってみたい、その気持ちをおさえがたい時があります。
あの澄みきった豊かさのことを、私は「しずもり」という言葉でしか、言い表すことはできません。
この「しずもり」は、孤独であることの寂しさ、人恋しさ、遠い昔だけれでも、人の温もりを感じていた日々があり、その時への回帰を願う気持ち、それがかなわぬことだと知っていることの寂寥感を示しているのだと思います。
作家の多くは、魂に言い知れぬ虚無を抱いているものです。私は、そうした虚無を理解できます。虚無の魂が生み出す審美的世界にも心ひかれます。しかし、そうした虚無を精神的生活の根幹にすえて生きてゆこうとは思いません。
澄み切った、静かな世界を構築することは、やりがいのあることでしょう。しかし、他者を排除した絶対的な世界を創出したいとは思わないのです。何よりも大事なことは、人らしくあること、そして、いつも世界とつながっていることです。
静かなだけではなく、そこには温もりがなければならない。温もりがあっても静かでなければならない。そうした、デリケートで壊れやすいけれど、限りなく人らしい時空間がいとおしくてなりません。
私が自分のオリジナル表現に専念できる日が訪れたら、この「しずもり」の世界を描いてみたいと心に決めているのです。
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