中原中也の「月夜の浜辺」というをご紹介します。

 

月夜の浜辺

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際(なみうちぎわ)に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

なぜだかそれを捨てるに忍(しの)びず

僕はそれを、袂たもとに入れた。

 

月夜の晩に、ボタンが一つ

波打際に、落ちていた。

 

それを拾って、役立てようと

僕は思ったわけでもないが

月に向ってそれは抛(ほう)れず

浪なみに向ってそれは抛れず

僕はそれを、袂に入れた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

指先に沁しみ、心に沁みた。

 

月夜の晩に、拾ったボタンは

どうしてそれが、捨てられようか?

 

私は中原中也は、生涯、「魂の永久調和」を願って生き続けた、詩作しつづけた人だと思っています。

 

中也の詩「サーカス」のレビュー記事では、「魂と宇宙との調和」を中原中也は希求し続けたと書いたのですが、このページではあえた「魂の永久調和」とします。

 

中原中也の詩「サーカス」レビュー

 

永久調和」という言葉は、ドストエフスキーが小説「白痴」の中で主人公のムイシュキン侯爵に、また小説「カラマーゾフの兄弟」の次男であるイワンに言わせた言葉です。

 

「調和」だけでなく、頭に「永久」をつけ、「永久調和」としたことに深い意味があるので、ご注意ください。

 

ドストエフスキーと中原中也には、共通点があります。

 

二人とも、常軌を逸したほど感受性が鋭く、魂の奥底に深い悩みを抱えて生きた。

 

生涯を通じて、激しい葛藤に苦しみぬいた。天国と地獄、天使と悪魔、愛情と憎悪などの相克がやまず、ついに魂の安寧を得ることはできなかった。

 

いつ果てるとも知らない混沌が続き、ついに訪れなかった魂の平安……しかし、私たちはドストエフスキーと中原中也が書いた作品を読むことで、「永久調和」まではいかなくとも、心の癒し(魂が救われる感じ)は得られるのです。

 

中原中也は自由詩を書き続けた詩人ですが、形式を強く求めた詩人でもありました。

 

葛藤と混沌という「不安定」に苦しんだ精神は、詩の形式に「安定」と「平和」を求めた。

 

だから、中原中也にとって詩の形式、感情や思想を盛り付ける「器」は極めて大事だったのです。

 

ソネット形式・七五調・リフレインなどの多用は、中也の「安定」への憧れと言っても良いだろう。

 

この詩「月夜の浜辺」は、主題も形式も、あまりに単純で明白すぎ、駄作に分類する人もいるかもしれない。

 

青春期から「中原中也詩集」と格闘してきた私としては、魂の「永久調和」を求め続けた一人の詩人が生み出した、絵本のような和らぎの世界が表されているという点で、とても失敗作とは言えない。

 

この「月夜の浜辺」を書いたことで、束の間であっても、中也の魂に和らいだとしたら、読者として嬉しい限りである。

 

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