中原中也の「湖上」という詩をご紹介します。
湖上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。
「湖上」は、中原中也の全作品中でも、際立った完成度を示している。この「完成度」がどこから来るのかを考えると、中也の本質が見えてくる気がしている。
「中也節」とも呼ばれる、七五調のリズム。
切ない。
ここで歌われるのは、忍従、諦観、虚脱、放心、道化、狂気?
中原中也が七五調で、おどけて歌えばうたうほど、読むほうは辛くなる。
悲しむことにも、嘆くことにも疲れ、いまはもう、うっすらと笑みを浮かべながら、すべてを受け入れるしかない……こうした心境になると、中也の詩魂は、不思議と生き生きしてきて、鮮明な映像をともなって、切なくも明るい歌をうたい始めるのである。
そして、中也は気づく、自分は幸福なのだと。
この「湖上」という作品は、詩として祝福されている。病的な告白欲は影をひそめ、まどかな世界を描き出している。
だが、激しく告白する時の中也の心の闇が、とけているわけではない。
中也の詩魂が危うい束の間の均衡を保っている、その均衡が危うければあやういほど、中也の歌はまどかに華やぐのだ。
その意味で、中原中也ほど、自身の人生と詩が一体化した詩人はいない。「一体化」とは、生きるとは詩を書くことであり、詩を書くことが生きることだった、ほかの要素は何もないという意味である。