金子みすゞの「不思議」という詩をご紹介します。
不思議(ふしぎ)
私は不思議でたまらない、
黒い雲からふる雨が、
銀にひかっていることが。
私は不思議でたまらない、
青い桑(くわ)の葉たべている、
蚕(かいこ)が白くなることが。
私は不思議でたまらない、
たれもいじらぬ夕顔が、
ひとりでぱらりと開くのが。
私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだ、ということが。
金子みすゞは、世界で最初に「不思議感覚」を詩にした詩人?
「センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)」という言葉を一時期、私はしばしば使っていた。
知人が、私の前でこの言葉をひんぱんに喋っていたからだ。
「センス・オブ・ワンダー(sense of wonder)」は、もともとはSF用語で「不思議な感動」「不思議な心理感覚」を指す。
転じて、日常生活では「不思議を感じる能力」「不思議だなあと感じることそのもの」を指して使われる場合もある。
「センス・オブ・ワンダー」は、レイチェル・カーソンの著作『センス・オブ・ワンダー(The Sense of Wonder)』に出てくる言葉としても知られている。
私は通常は「センス・オブ・ワンダー」のことを「不思議感覚」と言うことが多い。
注目すべきは「センス・オブ・ワンダー」という言葉が最初にアメリカで使われたのは、1940年代だということ。
金子みすゞは、1903年(明治36年)に生まれ、 1930年(昭和5年)に死去している。
金子みすゞが死んでから、「センス・オブ・ワンダー」という言葉は使われるようになった。ならば、金子みすゞは世界で最初に「不思議感覚」を文学作品のテーマにした詩人だとも私は言いたくなるのである。
「不思議感覚」こそが、生きている証明、生命力のバロメーター
最初に金子みすゞの「不思議」を読んだ時、素直に感動できなかった。
ドキッとしたからだ。最近の私は「不思議感覚」が衰えているのではないか、と感じた。
この世界に不思議なるものが満ち溢れているからこそ、人生は素晴らしいのだろう。
好奇心が旺盛だということは、いろんな夢や希望があることにつなががる。
「なんで~なの?」「どうして~になってるの」「なぜ~は~するの?」と、しつこく親に問いかける子供のようなみずみずしい感覚を失いたくない。
なぜなら「不思議感覚」こそが、生命力に直結してるからだ。
五木寛之という作家が「街を歩いていて、美人とすれ違った時に、振り返らなくなった男も終わりである」と言った。
卑俗なことのようにもとれるが、命の根源を指しているのかもしれない。
「美なるものを求める感覚」、これが衰退してしまったら、生きる甲斐はない。
また「不思議感覚」がなくなったら、それはもう死んでいるのと同じではないのか。
金子みすゞの「不思議」に、素直に感動できなくなったら「黄信号」である。
今の私に救いがあるとしたら、「青信号」に戻れる気がしていること。
たまらなくなるほど「不思議」を感じまくりたいものだ。