「的を得る」と「的を射る」に関する記事を当ブログが最初に投稿したのは、2011年10月27日でした。

 

久しぶりに読み返してみて、また辞書も調べなおして驚いたのは、Weblio類語辞典の記述が変わっていたことです。当時は「的を射る」の類義語だった「核心をつく」が「的を射る」の類義語から外されていました。

 

「的を射る」「的を得る」の言い換え表現として、「核心をつく」を推奨したのは他でもない私なので、この変化(辞書側の修正)には思わず、声がもれてしまったのです。

 

10年近く時が流れると、いろんな面で言葉の変化は避けられないということでしょうか。

 

では、以下、本日、2019年6月26日の改訂版「的を得るは間違いで『的を射る』が正しい?」をお伝えします。

本当に「的を射る」が正しくて「的を得る」は間違い?

 

間違いやすい言葉の一つに「的を得る(まとをえる)」があります。正しくは「的を射る(まとをいる)」ということになっているのです。

 

「間違いやすい慣用句」「間違いやすい漢字」などのコーナーでは、必ず掲載されているのが、この「的を得る」と「的を射る」。

 

とは申しましても、「的を射る」というふうに書くことはほとんどなく、この言葉を使う場合は、「的を射た」あるいは「的を射ている」というふうに書くはずです。

 

「核心を突いた意見である」という意味を伝えたい場合、「的を得た意見」は間違いで、「的を射た意見」が正しいとされています。

 

当サイトでも「間違えやすい言葉と慣用句【文章の基本ルール】」という記事をアップしたことがあり、実は、最初はこの「的を得る」は間違いで「的を射る」が正しいと掲載してみたのです。しかし、今は削除してあります。

 

削除した理由は、「的を得る」が正しいと主張したいのではなく、「的を射る」の方が正しいと言い切るのも、奇妙だと感じたからです。

 

「的を射た」という言葉も、どことなく、ぎこちない、というか、積極的に使いたくなる言葉ではありません。

 

「的を得る」でも「的を射る」でも、どちらも間違いではないとした方が良いと私が思い始めているのは、今のままですと、両方とも使えないからです。

 

「一生懸命」と「一所懸命」はどちらでも良い、「世論」を「よろん」でも「せろん」でも構わないというのならば、「的を得る」でも「的を射る」でも、どちらでも良いと感じるのが自然ではないでしょうか。

 

「世論」「一生懸命」の読み方・使い方

 

すでに出版されている「文章作法」の類の書籍でも、一冊の本の中で「的を得る」と「的を射る」の両方を使っている例がありました。

 

おそらくはこれは校正ミスですが、プロ集団でさえ、間違えるような言葉は、「誤用の追認」をした方が良いとさえ思えてきます。意味のない議論を繰り返すよりも、「日常でひんぱんに使われているので、使ってもかまわないことにしてしまう」方がマシかもしれません。

 

一方では、それほどまでに間違いやすいということは、正しいとされている「的を射た」という言葉自体に問題があるとも考えられます。間違えられ過ぎるのは、言葉として不幸だと思うのです。

 

このまま間違えられ続けるくらいならば、時代に合わない、誤解を生みやすいという理由から、どちらも使わない方が良いという意見も出てきて当然でしょうね。

 

そもそも、「的を得る」を間違いだとする説明に、説得力が薄いのです。極端な話、「的を得る」は権威ある(その人が使っている)辞書には載っていないので、今のところ間違いとしておくべきだ、ぐらいの説に過ぎません。

 

インターネットの辞書で「的を得る」を引きますと、ヒットはします。「実用日本語表現辞典」と「日本国語大辞典」には「的を得る」の説明が載っており、誤用とはされておりません。

 

それぞれの辞書の「的を得る」の説明を引いてみます。

 

 

実用日本語表現辞典からの引用

 

的を得る

 

読み方:まとをえる

 

「当を得る」と、「的を射る」または「正鵠を得る/正鵠を射る」などが混同されて使われる表現。「当を得る」は、理に適っている、の意味。

 

「的を射る」や「正鵠を得る/正鵠を射る」は要点をうまく捉えているという意味。これらが混同されて「的を得る」と言う場合は、通常は「要点をうまく捉えている」などの意味で使われることが多い。

 

 

次は、「日本国語大辞典」の解説。

 

 

日本国語大辞典からの引用。

 

まとを得(え・う)る

 

的確に要点をとらえる。要点をしっかりとおさえる。当を得る。的を射る。*白く塗りたる墓〔1970〕〈高橋和巳〉二「よし子の質問は実は的をえていた」

 

 

この問題について、調べたり、考えたりすることは、私にとって有益でした。

言葉は、使いたいか、使いたくないかという視点も大事。

 

言葉を使う場合、「正しいか、間違いか」という問題もありますが、「使いたいか、使いたくないか」という問題もあるのです。

 

権威ある国語学者ならば、正解について、もっともらしい解説をしてくれるかもしれませんが、言葉を使うのは私たち一般人にほかなりません。

 

正しくないから使ってはいけないと言われながらも、多くの人が間違い続けたために、間違いとは言われなくなった言葉だけを集めてみたら面白いでしょうね。

 

「的を得る」も間違いではないという意見を述べる人もいます。その理由づけの中で「正鵠を得る(せいこくをえる)」という言葉が必ず出てきます。この場合、「正鵠を射る(せいこくをいる)」でもかまわないのですね。

 

正鵠」について、大辞林は以下のように説明しています。

 

 

1.せい‐こう【正鵠】
「せいこく(正鵠)」の慣用読み。

 

2.せい‐こく【正鵠】
《慣用読みで「せいこう」とも》1 弓の的の中心にある黒点。2 物事の急所・要点。

 

3.正鵠を射る
物事の急所を正確につく。正鵠を得る。「―射た指摘」

 

 

「正鵠を射る」「正鵠を得る」の場合は、どちらでも良いのですが、この言葉になじみがない人が、今後「正鵠を得る」と自分のブログには書かないと思います。人は自分が使い慣れていない言葉は使いたくないものだからです。

 

「的を得た」は私たちの日常会話ではしばしば耳にします。一方「的を射た」は、ほとんど聞きません。声に出した場合、「鈴木さんの意見は的を得ていて感心した」と言った方が「鈴木さんの意見は的を射ていて感心した」と言うよりも滑らかだからでしょう。

 

「えていて」とは言いやすいが、「いていて」は舌を噛みそうになります。

 

そういう意味からも「的を得ている」「的を得た」という言い回しに、市民権を 与えても良い気もしてきます。

 

ただ、現在は、すべての辞書に載っているわけではない、一般的には誤用ということになっていることから「的を得る」とは書きにくいのは事実です。他人に突っ込まれるかもしれないことを、わざわざ書く人は少ないからです。

 

また、学校や会社の試験に出題された時は、必ず「的を射る」と答えるでしょう。

 

以下は、私、風花未来、個人の見解です。私が導き出した結論をこれからお話しします。

 

「的を得た」も「的を射た」も、両方とも使わないと決定。

 

どの言葉と組み合わされるにしろ、「~を射ている」「~を射た」は言葉として拙いと感じるので、「射」は除外して用法を模索することにします。

 

「的を射た」意見と言いにくのならば、「的を得た」に替わる、適切な言葉、使いたくなる言葉があれば良いわけですね。

 

「正鵠を得た」が使いづらいのなら、似たような表現に「要を得る(ようをえる)」「当を得る(とうをえる)」があるのですが、これらはどうでしょうか。

 

谷崎潤一郎の「文章読本」を読みますと、志賀直哉の「城の崎にて」の文章表現を評して「簡にして要を得ている」と書いています。「表現はいたってシンプルだが、事象の急所をとらえている」と谷崎は称賛しているのです。

 

「的を得る」のかわりに「要を得る」を使ってはどうだろうかと思ったのですが、この「要を得る」は、その前に「簡にして」がついて、セット使用されることが多いらしく、単独では、しっくりしません。

 

では「当を得る」はどうか?

 

「当を得る(とうをえる)」は「道理に適っていること、合理的であること、などの意味の表現」と辞書には書かれておりますが、「とうをえる」は、会話の中で使った場合、意味がよく伝わらない気がしますので、これも使いづらいのです。

 

そこで私が考えた、現実的な対策は、「的を射た意見」を違う言葉に置き換えてみることでした。

 

最も一般的なのは「核心をついた意見」でしょうね。

 

もちろん、他の表現も知りたいので、今度は「核心」を類語辞典で調べてみました。引用元は「Weblio」です。

 

クリックで拡大↓

この表はかなり役に立つと思います。「核心をつく」をそのまま使っても良いし、自分なりに、使いたい表現に変えれば良いだけのことです。今の時代に合った表現が、いくらでも出てきそうだと感じたのは私だけでしょうか。

 

※さらに興味深いのは、上の表中の「核心をつく」は大幅に改訂されていることです。以下、改訂された部分を引用いたします。

 

 

「核心をつく」の意義素

 

物事の本質となる部分に触れること

 

「核心をつく」の類語

 

核心に切り込む ・ 核心に触れる ・ 本質をつく 

 

 

何と、辞書としては、「核心をつく」の言い換えバリエーションは3つに限定されてしまった。

 

つまり、「核心をつく」と「的を射る」は類義語ではないと、切り離されてしまったのです、

あまりにも窮屈な感じがしますので、言い換えのバリエーションを増やしてみます。

 

「核心をつく」の言い換えバリエーションを増やしてみました。

 

現代的ということであれば、「ポイントを押さえた意見」と言った方が意味はとりやすいですよね。

 

その他には「急所をえぐった指摘」「本質を言い当てた発言」なども使えるでしょう。

 

「的を得る」は間違いだから「的を射る」と書くべきだという不毛な議論をしないためには、「的を得る」も間違いではないことにするか、両方とも使わずに違う表現に置き換えるしかありません。

 

現状では、間違えやすい言葉、間違えられやすい言葉はできるかぎり使わずに、明快な言葉で同じ意味を表現するべきでしょう。

 

以上の理由から、「的を~ている」「的を~た」という表現は、私はもう使わないという結論に達しました。

 

私の方向性は完全に決定したのです。

 

今後は、「核心をついた意見」では少し固いと感じた場合は、自分なりに違う言い回しで書いたり言ったりしてみたいと思います。

 

最後に「的を得た」および「的を射た」の言い換え表現のバリエーションを、以下でまとめてみます。

 

 

核心に切り込んだ ・ 核心に触れた ・ 本質をついた・ポイントを押さえた・急所をえぐった・本質を言い当てた・本質のど真ん中を射ぬいた・本質のまん真ん中をついた

 

 

いかがでしょうか? あなたの言い換え表現がありましたら、ぜひ、教えてくださいね。

 

では「とんでもないことでございます」は、どのように言い換えますか?

 

ぜひとも、言い換えにチャレンジしてみてください。