成瀬巳喜男の映画でどうしても最後まで見られなかった作品がある、それが今回鑑賞した「浮雲」である。
最初に申し上げておくが、この映画「浮雲」は見てはいけない作品である。
観ると、害悪が生じる、生きる上でマイナスにしかならない映画だと、あえて強く断言しておく。
私は映画が心底好きだ。だから、B級・C級とか関係なしに、何でも観てきた。
しかし、「浮雲」だけは駄目だ。
「浮雲」は1955年に公開された日本映画。監督は名匠として高く評価される成瀬巳喜男。
以下の受賞歴を見ると、どれほど高くこの「浮雲」が評価されたかが伺われる。
映画「浮雲」の受賞歴
第29回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞
1955年度ブルーリボン賞作品賞
第10回毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、録音賞、女優主演賞
私は日本映画をこよなく愛し、名作と呼ばれる作品はほとんど鑑賞してきた。
しかし、この「浮雲」は駄作である。
登場人物の生き方が、最悪だ。運命に翻弄されて滅びることは否定しない。しかし、流され過ぎだ。運命と戦う姿勢があまりに脆弱すぎる。
こんな映画を延々と124分も観せられたら、健康な人間でも病んでしまうし、病者は死ぬかもしれない、とさえ思う。
日本の作家の最もダメダメなところを集結させたような、最悪な映画となってしまった。
監督の手腕、出演者の演技力は申し分ない。 成瀬巳喜男監督は、自身の優れた美意識と演出力を凝縮しているかのようだし、高峰秀子と森雅之の表現力は、極めてレベルが高い。
だが、肝心なテーマがない。ただ、運命に翻弄されて滅びるだけの男女が、実に丁寧にダラダラと描かれている。
繰り返すが、評価が高いから一度観てやろう、という人は、見る必要はない。
だが、どうしても、この「浮雲」をご自分の眼で確かめたいという人は、以下から鑑賞できることはできる。
これほど映画好きの私でも、ようやく、5回目くらいの挑戦で、最後まで観られたに過ぎない。
私は余命3ヶ月を宣告されている。こんな駄作にかかわっている時間はないのである。
映画は、権威主義でも商業主義でも衰弱する。
黒澤明が木下恵介に対し、思想がない、確固たる主張がない、というふうな批判をしたと聞くが、成瀬巳喜男も、運命に流され、押し殺される人間を、まるでそれを肯定するかのように自らの美意識を総動員して描く愚かさに気づくべきだったのではないか。
運命を切り開くのは誰にとっても困難だが、果敢に挑戦する人間を描く映画を私は観たい。
田中徳三監督は、時代劇だが、市川雷蔵が主演した映画「大殺陣 雄呂血」で、運命に抗するために200人以上の敵を斬る武士を描いた。
人間とは、そもそも、運命に負けて滅びるのではなく、運命を切り開くために生きるべきではないのか。
それに比べ、自虐的な生き方に自ら酔うような登場人物しか描いていない、この「浮雲」なんぞ、絶対に観るべきではない。百害あって一利なしである。
私は、今後も、いかに表現力は高くとも、自虐映画は、絶対に認めない。