中原中也の「星とピエロ」という詩をご紹介します。
星とピエロ
何、あれはな、空に吊した銀紙ぢやよ
かう、ボール紙を剪(き)つて、それに銀紙を張る、
それを綱か何かで、空に吊し上げる、
するとそれが夜になつて、空の奥であのやうに
光るのぢや。分つたか、さもなけれあ空にあんなものはないのぢや
それあ学者共は、地球のほかにも地球があるなぞといふが
そんなことはみんなウソぢや、銀河系なぞといふのもあれは
女(をなご)共の帯に銀紙を擦すりつけたものに過ぎないのぢや
ぞろぞろと、だらしもない、遠くの方ぢやからええやうなものの
ぢやによつて、俺(わし)なんざあ、遠くの方はてんきりみんぢやて
見ればこそ腹も立つ、腹が立てば怒りたうなるわい
それを怒らいでジツと我慢してをれば、神秘だのとも云ひたくなる
もともと神秘だのと云ふ連中(やつ)は、例の八ツ当りも出来ぬ弱虫ぢやで
誰怒るすぢもないとて、あんまり始末がよすぎる程の輩(やから)どもが
あんなこと発明をしよつたのぢやわい、分つたらう
分らなければまだ教へてくれる、空の星が銀紙ぢやないというても
銀でないものが銀のやうに光りはせぬ、青光りがするつてか
それや青光りもするぢやらう、銀紙ぢやから喃(なう)
向きによつては青光りすることもあるぢや、いや遠いつてか
遠いには正に遠いいが、それや吊し上げる時綱を途方もなう長うしたからのことぢや
これは道化歌だが、中原中也にとって道化とは?
ユーモアやギャクの感覚は、人生の苦悩にどっぷりつかっていたら働かない。
どんなに追い詰められたどん詰まりの状態でも、自分を客観視、つまり距離をとって見ることができれば、いくらかは救われる。
人生を突き放して見ると同時に、おどけてみる、冗談を言ってみると生命力が回復する。
極限状況においてこそ、人間には「笑い」が必要だ。
「星とピエロ」は、数多い中也の詩の中でも異彩を放つ。老ピエロの語りという大胆な試みだが、成功しているのではないだろうか。
成功の意味は、読者である私が「中也、頑張ってるな、道化をありがとう」と感じえたことにある。