金子みすゞの「」というをご紹介します。

 

 

誰も知らない野の果で

青い小鳥が死にました

さむいさむいくれ方に

 

そのなきがらを埋めよとて

お空は雪を撒きました

ふかくふかく音もなく

 

人は知らねど人里の

家もおともにたちました

しろいしろい被衣(かずき)着て

 

やがてほのぼのあくる朝

空はみごとに晴れました

あおくあおくうつくしく

 

小さいきれいなたましいの

神さまのお国へゆくみちを

ひろくひろくあけようと

 

擬人法が効いている。

 

三連目、以下の三行の意味がとりにくいかもしれません。

 

人は知らねど人里の

家もおともにたちました

しろいしろい被衣(かずき)着て

 

「おともにたちました」は「弔(とむら)いをした」の方言だと思われます。「弔う」は「(小鳥の)死を悼む、冥福を祈る」の意。

 

雪をかぶった家を白い服を着た人に見立てて表現する、いわゆる擬人法を採用していますね。

 

上の三行は「人は気づいていないけれど、家も雪という真っ白い装束をまとって、小鳥の死を悼みました」くらいの意味で読めば良いでしょう。

 

中原中也と金子みすゞの違い

 

七五調の近代詩人といえば、中原中也が思い浮かびますが、この「雪」という金子みすゞの詩を読むと、同じ七語調でリズミカルに読める詩でも、中原中也と金子みすゞとでは、まるで真逆の内容になっていますね。

 

「真逆」の意味は、以下のとおりです。

 

中原の詩は内向きです、自己の内なる世界に眼が向けれているのか、夜の歌が多い。闇の中の光を詩にした作品が、中原中也には多い。

 

中原の詩は激しい自己愛に貫かれていて、それが中原の魅力にも限界にもなっています。

 

中原の自己愛は激しすぎて、自分自身が自分に衝突し、気づつけ、その苦悩を詩で告白しているのです。

 

一方、金子みすゞは、愛の対象を自分の外側に置いた。外なる世界に眼を向けているので、金子みすゞの詩では、昼間が多く、光に満ちている。

 

実は、内面の闇は中原中也に負けないくらい深かったのだと思います。

 

ただ、金子みすゞは、自分ではない何ものかを慈しむしか自分を愛する道はない、と気づいていた、あるいは、本能的に体得していたような気がするのです。

 

その意味で、金子みすゞの詩は「慈しみの文学」だと言っていいでしょう。

 

かといって、中原中也は自己中のどうしようもない人間かというと、決してそうではありません。

 

苦しみ悶えつつ、魂と宇宙との調和を希求する中原中也の姿は、崇高でさえあります。

 

あの名作「一つのメルヘン」に至るまで、永久調和を求めた中原中也の詩は「祈りの文学」と呼んで差し支えないでしょう。

 

金子みすゞのその他の詩はこちらに