まど・みちおの「ぼくが ここに」という詩をご紹介します。
ぼくが ここに
ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ
マメが いるならば
その一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは
こんなに だいじに
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが
なににも まして
すばらしいこと として
基本的人権だとか、立憲主義だとか、また、ジェンダーやダイバーシティとか、概念語がやたらと聞こえてくると、何だか空しい気分になってしまう。
それに比べ、まど・みちおは、ひらがなだけで、難しい言葉を一つも使わずに、生あるものの尊厳について、わかりやすく語ってくれている。
さすがは、詩人だね、と感心するのでは足りない。漢字をひらがなに、概念語をふだん使う言葉に、カタカナ語を和語に、言い換えることは、心がけと練習で可能となる。
具体的な練習方法としては「詩を読むこと」が大切。
どの詩人を読んだらいいのか。
まど・みちお、それに、金子みすゞ、この二人を交互に読むと、かなり効果が上がるはずだ。
まど・みちお、金子みすゞの詩を読み続けていると、使う言葉がシンプルになるだけではない。
物事の本質を見抜く、核心を照射する「眼」が養われる。
同じ「眼」でも、肉眼より、心の眼、即ち「心眼」で、神羅万象を見つめることが当たり前になるだろう。